暗い夜

 昔の夜は暗かったですね。幽霊が現実味を帯びていました。いや,それは自分が子供だったからかな。夜外出すると,自分の足下もよく見えないようなところがありました。屋内も負けず劣らず不気味でしたねえ。照明が薄暗くて,昼間とは別世界に変貌するのです。近くに病院があって,推理小説の殺人現場の洋館のような雰囲気を醸し出していました。半ば寝たきりの祖父の薬を受け取るおつかいで,遅い時間にそこに行くと,壁,天井,照明,階段に何か得体の知れないものが染みついているようで妙な気分になりました。怖いのだけどそれだけではなく,惹きつけられるものがあるのです。

 擦りガラスの円いカバーが付いた白熱電灯を見ていると懐古的感情とはまた違った侘びしいような気分になります。昔の列車の照明にも使われていたものです。ボーッとオレンジ色に光る照明は暖かみがあるようで,頼りなく不気味でもありました。カバーの内側にゴミがたまって黒く見えています。その気分を言葉で表現するのは難しいですね。夜道に迷い,やっとの事で人家の明かりを見つけホッとしたものの,なにやら鬼婆でも済んでいそうな佇まいで入ろうか躊躇しているというような気分,いや,ちょっと違います。そんな具体的状況で説明すると肝心の感覚が逃げてしまいます。どういえば良いのでしょうか。もどかしいです。

 鬼婆がいるのではなくて,実は何も存在しない空虚さと言った方が近いような気もします。薄暗い街路の1本の電柱に点る照明とか,団地の階段室の入り口をぼんやりと照らす照明を見ると暗い外洋で灯台の明かりを見つけたようにホッとしますが,実はそれはぬか喜びです。電柱に行っても何もありませんし,実は団地も無人なのですよ。空虚なのですが,空虚にまとわりつく何かがあるというか。廃墟マニアが感じる気分に似ているのかも知れませんが,それとも違うような。

 「わびさび」というほど枯れた気分でもありません。何しろ子供の頃に感じた感覚です。むしろ性的な期待感に繋がっているような気もします。特に子供には夜は性的なものを連想させます。禁断の魅惑の世界があるかのように思えるのですが,それは空振りに終わるという予感もあるのです。さらに加えて恐怖感も付着しています。道を踏み外す恐怖とでもいうか。

 子供にとって大人の世界は期待を抱かせるものです。子供というだけで制限されていることから開放されますからね。大人買いの浪費も思う存分できるのはなんと素晴らしいことか。しかし,何となく期待はずれに終わることも感じています。大人がちゃんと説明してくれない疑問が子供にはあるのですが,うすうすとその真相には気づいているのです。子供から一気に大人になるのではなく,除除に成長するにつれて期待が失望に変わっていきます。除除に変化するため,失望したことにも気づきません。しかし,失望の予感があったのは覚えています。

 私は,子供の感覚を学生時代まで引き摺っていました。何かを期待して薄暗い照明の世界を探訪していたのです。そういう場所が夜の工業地帯にありました。最近では,湾岸工業地帯のプラントナイトツアーなる奇妙な観光が行われています。プラントですから,あくまで機能的な照明なのですが,見ようによってはライトアップしているように見えるらしいのです。私が惹かれていたのはもっと頼りない明かりで,当時の工場地帯の巨大なタンクを照らす照明でした。円筒形のタンクの縁を照明が照らし薄ぼんやりと光っています。美術部に入っていた私は夜のプラントの絵が描きたくなって,人気のない夜の工場地帯に自転車に乗って踏みいったのです。暗闇でスケッチするため,大きめの懐中電灯を携えていたりして,いかにも挙動不審です。スケッチを終えた帰りに警官に呼び止められました。職質です。

「なにやってんの?」

 正直に答えたところ,スケッチを見せてくれといわれました。素直に見せたら,警官はお世辞っぽいことをいってくれました。「いや,それほどでも」とかなんとか言ったかどうか良く覚えていませんが,警官は,工場荒らしが発生しているので見回りをしていると説明してくれました。何事もなく解放されました。個性が大事だなんて言いますが,やましいことがなくても人とあまり変わった行動をしない方が身のためだと感じた経験の一つです。

 と,一つ賢くなった私ですが,その後,心の中の説明できない感覚のことを意識する事も少なくなりました。社会にでると,何かと忙しくてそんな暇も無くなっていくのです。それと共に,子供の頃の感覚は幻想のようなものだと分かって来ました。とはいえ,子供は幻想を見るものです。私は妖精のような具体的な幻想は見ませんでしたが,感覚の幻想を見たのでしょう。他にも,ある種の音楽を聞いたり,映像を見ると説明しがたい気分になることがありました。感動というよりも快感に近い生々しい感覚です。

 数年前にカズオ・イシグロの「私を離さないで」を読んだ時に,そんな感覚を感じたことを思い出しました。残念ながら感覚そのものは蘇りませんでしたが。