反原発のようでそうでない

福島原発事故>検察の不起訴判断と市民感覚 なお隔たり
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150122-00000116-mai-soci

 告訴団は東京電力旧経営陣3人の刑事責任を問い,告訴すべきだという主張をしています。その理由は原発事故は東電の過失が無ければ防げたはずだと言うものです。つまり,原発はちゃんと管理すれば事故を起こさないという考えになります。事故直後から東電の過失を問う意見は結構有ったのですが,問い方次第では、原発そのものは認めるという意見になると感じていました。ところが,不思議なことに,この種の主張をする人の多くは反原発でもあるらしいのです。これはどういうことかと考えるに、とにかく被害を受けたのだから、責任がどこにあるかという筋はどうでもよいから、補償して欲しいということではないでしょうか。私も、筋よりも実利を優先する方ですので、このような告訴もありうるとは思うのですが、その場合は反原発という政治的主張はなじみません。

 個人的には,原発一般はちゃんと管理しても事故は起き,その被害が余りに大きすぎるので,容認できないという政治的意見です。この様に考えるのであれば,原発一般を認めたのは国ですから,責任を問う相手は国であり東電ではありません。それに対して,原発一般はちゃんと製造管理すれば事故を起こさないのに,東電が設置した特定の原発が管理不十分で事故を起こしたと考えるのなら,東電の責任を問うことになります。

 ただし,少し微妙なところもあります。例えば,タクシーに乗って事故に遭ったとします。運転手のミスやタクシー会社の整備不良が原因ならば,タクシー会社に損害賠償を求められます。しかし,そのタクシーが自動車メーカーの欠陥車だったのならば,第一義的には自動車メーカーの責任です。ただ,欠陥の無い車でも事故に至るような運転をしていたのなら,タクシー会社の責任も問えるのかもしれません。どちらが主因と決めることが困難なら、両方の責任とせざるをえないでしょう。

 自動車の場合はそう言う判断も可能です。自動車が絶対事故を起こさないということはあり得ませんし,絶対に故障がないということも有り得ません。それでも,多少の事故や故障は覚悟の上で利用されています。従って,欠陥車を判断する場合に,故障があれば即欠陥車だとは考えません。受忍限度の故障というものがあります。最大限努力しても防げない故障はあるからです。このようなことから,自動車メーカーの責任は,故障があったということよりも,故障を防ぐ為にどの程度の努力をしていたかということで判断されます。同じことがタクシー会社にも言えます。事故を防ぐための車体整備や安全運転をどの程度していたかが重要になります。自動車の場合は,どの程度なら免責になるのかという社会通念がありますし,判例も積み上がっています。ですから,一義的には自動車メーカーに責任がある場合でも,タクシー会社も十分な責任を果たしていなかったと判断することも可能です。

 ところが,原発の場合はそのような社会通念はありません。とはいえ,告訴団が自らが考える判断基準を示して,東電が責任を果たしていなかったと告訴することも考えられないこともありません。その場合は,ちゃんと管理していれば責任が問えない事故もあると認めることになります。ただ、実際の告訴団はそのようなややこしい主張をしているとは思えません。後付で考えて,こういうことをしていれば津波被害は防げたはずだという主張に過ぎないと思います。しかし,どんな事故もあとから考えれば対策が考えられますが、事前に想定するのは難しいのです。いや想定だけなら出来ますが、そういう想定をすることが妥当なのかは簡単には決められません。事前に必要な対策を明らかにしておかなければ,責任を問う基準にはなり得ません。後から作った基準で、それ以前の行為を裁くことは出来ません。基準とまでは言わなくても、社会通念が最低限必要ですが、それもありません。

 多分、原発事故の受忍限度を定める基準を作るのは将来的にも不可能だと思います。東日本大震災では津波で転倒した建物がありましたが、設計者や施工者の責任を問う声は有りませんでした。普通の建物では、あんな津波は想定していませんし、対策は非現実的だからです。原因が原因だけに仕方のない被害であり、誰かの責任を問えるものではないと専門家は考えます。(一般の人はそうでもないのですが)原発の場合は、専門家でも仕方ないと受忍できる事故原因が考えにくいのです。隕石が激突したんじゃ仕方ないね、という社会通念が形成されるとは思えません。隕石対策をしろというのではないでしょうか。

 告訴団も受忍できる事故原因があるとは考えていないのではないでしょうか。受忍できない原因で事故を起こした過失が東電にあるというのではなく、原因がなんであろうと事故が起きて被害がでたのだから何とかしてくれではないでしょうか。しかし、告訴するとなると、過失があったと言わなければなりません。これは、「反原発」という本来政治的争いをしなければいけないところを、司法闘争してしまったといえます。となると、受忍できる事故原因、即ち過失が問えない事故もあることを認めなければなりません。そして、東京地検もそう考えざるをえません。


【1/25追記】
混乱がありました。この件は刑事告訴であって、損害賠償の民事ではありませんから、実利を求めてというより、処罰感情ですね。となると「筋」は重要で、「誰でも良いから処罰したい」ではなく、東電に責任があるはずだとの考えのようです。