ダビデ像がわいせつでない理由

ろくでなし子さんは起訴され、AV強要被害は野放し 日本の欺瞞的な「わいせつ」 
  − YAHOO ニュース
http://bylines.news.yahoo.co.jp/itokazuko/20150107-00041933/

ダビデ像が芸術でマンコ模型がわいせつなのは女性差別である。」この論理は雑すぎます。「山中伸弥ノーベル賞で、小保方晴子が研究不正認定なのは女性差別である。」というようなものです。女性のノーベル賞受賞者も存在しますし、不正認定された男性も存在しますからね。同様に、性器を露出した裸婦像が芸術扱いされることもありますし,チンコ模型がわいせつとみなされる場合だってあります。摘発された物件がたまたま女性を扱っていただけで、女性差別というのは早計というものです。

 さらに、局部的なマンコやチンコの造形でもご神体なら大丈夫だったりします。芸術でもわいせつになる場合も有ります。判例からも,芸術とわいせつの判断基準は無関係です。わいせつかどうかの判断は,是非はともかくTPO次第であって,女性性器が必ずしもわいせつと判断されるとは限りません。とはいえ,女性器が取り締まられやすいという傾向は確かに有ります。男女の関係は対称とは言えない面が多くあります。ただし,女性器造形を取り締まるというのは女性の行為よりも男性の行為を取り締まっている面が強いのです。

 わいせつが取り締まられるのは,みだりに欲情を刺激するからです。なぜ欲情を刺激するのが悪いのかは結構複雑な理由がありますが,取りあえず,悪いという前提で以降の説明を進めます。

 わいせつに関して男女差別らしきものが生じるのは,男女で欲情の刺激され方が異なるからです。男は単純に視覚的な刺激で興奮しますが,女はそんなに単純ではありません。男は相手が女ならば大抵欲情しますが,女は男なら誰だって良いと言うわけではなく,資産とか権力も考慮します。なぜそうなのかは一応の生物学的な説明があります。男は手当たり次第性交渉を持つ事は子孫を残す上でメリットこそあれ,デメリットはあまり有りません。しかし,女の場合は,一人の子供を長期間妊娠しなければなりませんので,良い相手を選ぶ必要があるのです。また出産後の育児の協力をしてくれそうな男性を選ぶことも重要になります。男は数を,女は質を重視します。

 この事から,警察当局が重点的に欲情の規制をしなければならない対象は男であることは明白です。男が欲情を催すのは女の視覚的刺激ですから,それが規制されることになります。読者層が男性の雑誌にはエロチックな女性の写真があふれていますが、女性読者向け雑誌に男性ヌードは目立たず、ファッショナブルな女性の写真が多く見られます。当然、警察の取り締りが多いのは男性向け雑誌で、そこには女性ヌード写真がありますが、これを女性差別という場合があります。この場合は女性の裸体を曝すのが差別と言っているわけですが、ろくでなし子さんの場合は、曝すのを規制されることを差別と言っています。真反対です。

 つまり,こういうことです。「わいせつ」だとして、性器や性行為自体を取り締まることは出来ません。性器や性行為は繁殖のための大切なモノですから,警察だって悪いとは考えていません。悪いと見なされるのは時と場所をわきまえない無節操な性的行為です。無節操を許すと社会制度の崩壊に繋がりかねないからです。社会制度とは現代日本では夫婦や家の制度です。自由な欲情に任せておけば,これから外れた男女関係に突入してしまうことを当局は恐れていますが、外れていなければ許されます。夫婦の寝室や,昔の公娼街では情欲を刺激するものが有っても,わいせつにはなりません。また,教育によって情欲が発散しないように条件付けられた場合,例えば美術館の中の裸婦像は全然問題有りません。もっとも,教育が不十分だと,美術館の中で欲情を催す人がいないとも限りません。子供の頃,美術の本を見て興奮した経験が有る人もいるでしょう。

 子供は芸術品でも欲情を刺激されるというのは慣れていないからです。このことから、芸術品がわいせつではないと許されるのは、単に慣れてしまっただけかもしれないという仮説がたてられます。ダビデ像だって作られた頃は刺激的だったかもしれません。そのため多くのファンを引き付け持て囃されますが、そのことが返って慣れを加速させます。そして美術館行きの枯れた芸術品に堕落するのです。いや堕落は語弊があります。かつては高レベルに刺激的たっだという栄誉が与えられたのが芸術品と言った方が良いかもしれません。評価が固まるというのは過去の栄誉をたたえているわけです。

 ダビデ像は歴史がありますが、ろくでなし子さんの出来たてホヤホヤのマンコ模型には警察も慣れていません。そのためわいせつと判断されたのでしょう。一方で、その程度のものには慣れっこになっている芸術界隈の人にとっては、何故わいせつなのか理解できないのかもしれません。ただ、ダビデ像だって、新しいTPOに置かれると刺激的なわいせつに復活する可能性があります。ご神体のチンコも宗教とか慣習という文脈で解釈されるのでわいせつになりませんが,AVの中で利用されると文脈が変わってきます。

 女性差別の問題に戻ると、女性器がわいせつと認定されやすいのは,女性器が悪いものだからではなく,男性が欲情しすぎるからだと前述しました。ですから,本来取り締まらないといけないのは男性の方なのですが,それは効率がわるく,女性器を隠したほうが簡単なので女性器が取り締まられるのです。これは女性にとっては迷惑な話で,差別といえば確かに差別です。自分には責任のないことで不便を被っているからです。男はおっぱいを露出しても咎められませんが,女はダメです。理由は男のおっぱい程度で女は欲情しませんが,男は不謹慎にも興奮するからです。悪いのは男なのに,女の行動が制約されます。この対策として,美術館の裸婦像を見るように男を教育する、つまり慣れさせる方法が有ります。非現実的に思えますが,実は過去には実現していました。昔は,電車の中でおっぱいを出して赤ちゃんに授乳しているお母さんが普通にいました。現代でも,世界にはおっぱい丸出しの生活が存在します。

 ただ,慣れすぎると不感症になって肝心の繁殖に影響を及ぼす恐れもあります。それでは本末転倒です。それに,不感症になると,刺激を求めて変態的行為に走る危険性もあります。かといって、抑制を強めてもヴィクトリア朝的変態文化になる恐れもあります。いずれにせよ変態的になる傾向があるようで、文化とは一筋縄ではいきません。