ギャンブル依存症に潜む「善意」

12月4日読売夕刊 健康のページに『「一生治らない」は間違い』なるギャンブル依存症の記事が載っていました。善悪より損得による判断がマシな場合はよく有りますが,その実例と言えるものです。

 借金で競馬を続ける60歳代の女性が、昨夏にできたギャンブル外来でカウンセリングを受けた。「競馬は投資。やめない」。最初はかたくなで、「老後の生活資金を増やすのが目的」と語った。だが、精神科の河本泰信さんが対話を続けると、「お金を増やして周囲の人を助けたい」と、もう一つの目的を明かした。動機が金銭欲だけなら、負けが続くと我に返りやめられるが、名誉欲の一種の「お世話欲」の充足まで競馬に求めたため、没入してしまったのだ。

 善悪や大義による行動は歯止めが効かなくなるおそれがありますが,損得勘定ができればほどほどにとどまります。大儀は妥協を許しませんから,儲からなければ止めれば良いとはなりません。何が何でも儲けようとしてしまいます。戦争や論争でも同様です。大義による戦争は徹底的な殺戮や玉砕に至ります。大義による論争は平行線で,罵倒に至ります。善意で敷き詰められた道は地獄への道です。

 河本さんは競馬を止めろとは言わず、続けるための条件を示した。「競馬の目的を一つに絞ること」。金銭欲なり暇つぶしなり、一つの目的だけで行っていれば病的な状態には陥らないとの考えからだ。加えて河本さんは、女性の「お世話欲」を別の形で満たすため、ボランティア活動を勧めた。
 女性は地域の世話役を始めた。すると競馬への興味が薄れた。金銭欲の面でも「負け続きで割が合わない」と感じ、つき物が落ちたように急速に回復した。

 この女性は大義を競馬で果たす必要がなくなり、損得勘定が出来るようになって回復しました。善意は身の丈に程度に止め,よく理解している事柄にした方が無難です。間違いは誰にでもありますから,訂正と回復が可能な範囲にしておいた方がよいでしょう。確かに,不退転の決意を固め背水の陣で望まないと成功が難しいこともあります。成功すれば感動話としてもてはやされますが,裏側にはその10倍の破滅が転がっていて誰も気にしないだけです。そもそも,それほどの成功が必要なのかということもあります。記事の女性が是が非でも助けなければならない周囲の人がどれだけいたんでしょうね。