赤瀬川原平ファン

 赤瀬川原平氏が亡くなられました。ファンの私が最初に買った本は「鏡の町皮膚の町」,箱入り装丁の豪華版でした。なんと1976年11月30日初版第1刷です。鶴見俊輔野坂昭如種村季弘赤塚不二夫の紹介文の付録が挟み込まれています。再版本とは趣が違います。私がファンなのは,言葉で表せそうもない「趣」を言葉で表しているところでした。「趣」には万人に理解できるものから,マニアックで極私的なものまでありますが,原平氏の言葉で書かれていると「あー,そう言えば」というあるある感があるんですね。そうは言っても「あるあるネタ」ほど一般的ではなくて,分からない人は分からないという感じかもしれませんが。例えば,超芸術トマソンは「実用性のない不動産物件」と説明されますが,それだけじゃダメだと原平氏は考えていたと思います。必ず何らかの「趣」を醸し出していなければなりません。単に変なだけではなく,美しさやおもしろさといってもよいようなものです。だから超芸術なんてしらばっくれているけど,実は芸術なのではないだろうかと私は疑いました。しかも,芸術のエキスのようなものです。

 ネオダダ時代から原平氏は芸術のエキスを抽出しようとしてきたように思います。しかし,現代芸術は行き詰まりました。饒舌なメッセージばかりで,感覚が無いのです。あまりにドライで干物みたいでした。干物は干物で美味しいのですけど,本当はそれとは違う生魚の美味しさのエキスを抽出したかったのに,干物になってしまったという感じがしました。現代芸術って難解だと思われていますが,実は単なる失敗だったような気がします。

 抽出はなかなか難しい面があります。例えば,色っぽいなという感覚を純粋に抽出するのは無理です。どうしても具体的なものが必要です。生身の裸体である必要はありませんが,何かの媒体が必要です。そして上手くやれば何らかの媒体は生身の裸体よりも色っぽくなります。これが芸術ではないかと思います。生物学的には「超正常」と言われている不自然に赤い唇を魅力的に感じるようなもので,フェチシズムに繋がっていきます。フェチシズムには経験とか知識が必要で生まれたばかりの赤ちゃんには多分有りません。個人的な経験のフェチは変態といわれ,社会的経験のフェチは文化と言われます。

 ところで,芸術は実用品では有りません。何かの役に立つ手段ではなくて,きれいだとか面白いとか怖いとか感じることが嬉しいだけなのです。しかし,元を辿れば生存の為という目的があったと考えます。生物に生存のための行動を起こさせるには情動が有効だからです。芸術をするのは別に人間だけじゃ有りません。芸術的な巣を作る鳥もいます。宗教画なんかは鳥の芸術に近い部類でしょう。ただ,人間は目的を忘れて情動の刺激だけを抽出しようとしました。生殖を目的としない快楽のためだけの性行動みたいなものです。これってフェチシズムですね。

 芸術はそんなものだと思うのですが,人間社会は複雑なので目的を捨てた芸術に別の目的が付着してくるようになります。権威とか教養という類のものです。そこでは観賞作法のようなものが出来てきて,それに従う必要も出てきます。別の目的にはその方が都合が良いからですが,その代わりに,情動の刺激は大して重要ではなくなってきます。いや,芸術という以上,公式には重要と言うことになっていますが,刺激を受けたフリをしていれば済みます。観賞作法は芸術のジャンルごとにオーソライズされているので,知識として覚えれば教養があると見なされます。フェチシズムを形成する知識は自分自身の情動の刺激を促進しますが,教養としての知識は社会関係にある他者を刺激します。

 原平氏は出来るだけ,観賞作法が確立されたジャンルに近づかない様に注意しながら,情動の刺激を追及してきたのだと思います。ですからトマソンにも「趣」は必須なのです。そして,情動の感受性は繰り返せば鈍くなってきます。つまり,飽きてしまいます。「本当に良いものには飽きない」なんていいますが,嘘じゃないでしょうか。良いものは飽きにくいかも知れませんが,多少なりとも飽きるでしょう。同じものを見ていても感じ方が変わって来るのです。となると,同じ刺激を感じるためには対象を変化させる必要があります。タブローから現代芸術,画廊から街中へ,美術から文学へ,芸術から超芸術という変遷も興味の対象が変わったというよりも情動の刺激維持するためだったような気がします。

 情動が刺激されたフリをしているのではなく,本当に刺激されればありありと分かります。まさに「あるある感」です。ステレオグラムの理屈を理解していても,立体視できない人には見えません。でも見える人には実にあざやかに見えます。立体視も経験と知識が必要で,生まれたばかりの赤ちゃんには多分見えていません。観賞作法として立体視の理論を理解する必要もありませんが,なにかちょっとしたきっかけで見えたりします。原平氏には様々なきっかけを与えてもらいました。

 ここらで、赤瀬川原平氏の「あるある感」文例をあげてみます。先ずは分かりやすいところから。

・「父が消えた」

私はいままで、この三鷹駅からは東京「行き」の電車ばかり乗っていたのだ。だけど今日は三鷹駅から東京「発」の電車に乗って、八王子の墓地に行ってくるのだ。電車はいつもの三鷹駅の固まった風景を、もう一枚めくるように動き出した。いつも見慣れていたつもりの風景が、どんどんめくられて通り過ぎていく。珍しいことである。電車というのは反対に向かうとじつにどんどんと動くのだ。この電車が動くと言う感じが嬉しくなってくる。

・「少年とオブジェ」

(革靴)最近のビル街、そしてビルの中というものは、裸足で歩いてもまったく安全なように、ツルツルに用意されています。梅雨の季節にあそこを裸足でピタピタと通勤したらどんなに気持ちがいいでしょうか。

(畳)畳の部屋には幽霊が出る。昔の人はよくそういったものである。何故って、畳はいつも柔らかく湿っているから。

(割り箸)で割り箸をパチン、うーんたまらないですねェこれが。でももう一度パチン、うーん幸福。もう一度、こんどはパキン、いいなァ。パシン。ピシッ。パチン・・・。こうして割り箸はその一回性がどんどんムダになっていく。本当はもったいないことである。だけど本当はたまりませんねェ、この快感が・・・。

・純文学の素

 専門誌から電話があった。専門誌とは本誌のこと。
「モシモシ、あっ、スウェイです・・・」
この人の声は受話器から突然出てくるという感じである。受話器の中であらかじめ準備したり、下ごしらえをしたり、根回しをしたりしながら出てくるのではなくて、イキナリ出てくるからビックリしてしまうのである。

・人肉はまだたべていないけど

 食パンと違ってガラス壺というのは固くしっかりとした物品なので、やはり犯罪者としての実感もしっかりと固く迫ってくるようだった。私は両手でそれをぎゅっと持って、もう戻れないと思って歩きながら、ガラスの表面をじっと見ていた。街燈の下を通るたびに、おおきなガラス壺の上を小さな光がピューン、ピューンと滑って行く。

 きりがありませんね。でも、もう増えることもありません。

※11/4 追記 摂津国人さんから、「源平ではなく原平」とご指摘を受けました。
修正しました。有難うございました。