変化しない杓子定規

国語学研究員は、「日本語の乱れ」の夢を見るか
http://mubou.seesaa.net/article/405728644.html
この記事の目次は下記の通りになります。

1.書いている人の立ち位置
2.国語学ってなんですか
3.で、「日本語の乱れ」ってなんでしょうね
4.「正しい日本語」とかいうものを商売のタネにする人達があんまり好きじゃない

 実は私も「正しい日本語」とかいうものを商売のタネにしています。と言うほどのものではなくて,機関誌のようなものの編集をやらされていて原稿の校正まがいのことをしているだけですが。長いこと「全て」は誤用であるとして,「すべて」或いは「総て」と校正していました。なにしろ,古いハリウッド映画のタイトルも「イブの総て」でしたからね。ワープロソフトが「全て」と変換するのは困ったものだと感じていました。

 ところが,平成22年の文化審議会国語分科会で常用漢字表が改定され,「全て」に「すべて」の読みが追加されていました。
http://www.bunka.go.jp/bunkashingikai/soukai/pdf/kaitei_kanji_toushin.pdf

 私はそんなことになっているとは知らず,つい最近まで「『全て』は誤用なのだよ」と吹聴し,赤っ恥をかいていたのでした。考えて見れば学校で習った頃は「常用漢字表」ではなくて当面の漢字表という意味の「当用漢字表」でした。常用漢字表になってからも,度々改定されています。こういうことからも,言葉は変化するものであると十分理解しているつもりだったのです。

 ところが,原稿の校正のようなことをしていると,正しい日本語が気になります。一応,常用漢字表や公用文での送り仮名の付け方やら規則で決まっているので,根拠らしきものはあるからです。それに従うなら,規則の改定をフォローしておくべきだったのですが,怠っていたというわけです。

 この失敗で,知識のアップデートに努めようと反省したかというと,逆です。一々そんなことをやってられないという気分になりました。だってそうでしょう。規則の改定,例えば常用漢字表の改定も世間での使われ方の実態を調査して決めるのです。ならば,普通に世間でよく使われる表現を使っておけば良いのです。ルールに世間が合わせるのではなくて,世間にルールを合わせているのです。人工的なプログラミング言語と違って,自然言語は少々変化しても意味が通じる融通性があるのですからね。

 それで,思い出したのが高校の現国の先生です。この先生は,漢字の送り仮名は適当でよいと言ってました。小中学校ではうるさく送り仮名を注意されていたので,いい加減な先生だなと思いました。しかし,送り仮名は戦前と現在では随分変わっています。戦後のルールも度々改正されていて,覚えても仕方無いと達観されていたのだと思います。それに送り仮名ルールの昭和48年の内閣告示にも次の様に書かれています。

「この「送り仮名の付け方」は、科学・技術・芸術その他の各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない。」

 大学では,英語でもっと「衝撃的」な裏話を聞きました。教養課程の英語の教授が試験の採点について語った話です。「爆弾のスペルはbombだけど,bomも正解にしている。bは発音しないしね。それから,pomも何点かあげる「ポン」は少し軽いけど爆弾の感じがするからね。」当時の大学の試験採点のいい加減さには色んな伝説が流布していましたが,この話は採点者自らの発言を私の耳で聞きました。後で,浪人中の友人にしたら怒っていたなあ。

 今思うと,この友人の怒りのような感情が,杓子定規を生み出すエネルギーなのかも。