あなたは大学で私語をしない学生だったのか

渡邊先生ynabe39の「こういうのは感心しないですね。」 - Togetterまとめ
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 渡邊先生は講義中の私語対策はテクニカルなやり方があると言っていて,駅のホームドアの例を出しています。私は,工場や工事現場の安全設備の効果を連想しました。事故が起きた時の決まり文句が「安全意識の向上」ですけど,注意しろというだけなのですね。確かに注意を維持できれば事故は減りますが,限度が有ります。それよりも遙かに効果があるのは安全設備の導入で,現実にその効果で工事現場は随分安全になりました。
全産業における死亡者数・死傷者数の推移(昭和28年〜平成21年)
https://www.jisha.or.jp/info/suii.html
駅のホームドアの効果も劇的です。もちろん費用は掛かります。

 ただ受講の態度はモラルとかマナーなので,携帯電話の電波シールドのような対策は本質ではないという意見が有りそうです。駅のホームドアも同じで,自殺を抑制する心の対策が必要だと言い出す人もいるかも知れません。そう言う面の対策も必要ですが,それを交通機関に求めるのは筋違いでしょう。大学の学生のマナー教育を大学に期待するというのも違う様な気がします。それに,技術的対策はモラルを守らせる為ではありません。モラルを守らなくても実害が生じないようにしているだけです。そもそも,安全対策も大学の講義を支障無く進める対策もモラルを高めるのが目的ではありません。仕事を滞りなく進めるのが目的です。技術的対策が上手く出来ない場合に,モラルに頼るという非常手段が使われているだけと思います。

 
 それよりも「あなたは大学で私語をしない学生だったのか」という指摘は重要だと思います。誰だって私語ぐらいするし,不注意で事故を起こすし,希に自殺したい気分にもなります。そういうことは異常で一切許されない社会というのも怖いです。別に授業を妨害しようとして私語をしたり,事故を起こそうとして不注意になったり,交通機関に損害を与えようとして自殺を図るわけじゃないです。大抵の人は。

 技術的な対策は厳格に割り切って構いません。スピード違反には則罰金を課してよいし,試験成績が悪ければ落第です。こういう技術的な問題にモラルを持ち込むと,モラルも厳格に割り切らざるを得なくなります。不注意は罰金,私語は落第となってしまいます。うっかり私語も出来ないなんて嫌じゃ有りませんか。

 最近では自動車でも自動ブレーキが導入されていますが,日本ではかえって不注意になる可能性があるとして導入に慎重な意見が有りました。その結果,海外にくらべて開発に遅れをとったと言われています。これも,安全を確保するために注意という手段に頼った結果の不都合です。確かに,安全装置で緊張感はゆるむかもしれませんが,手すりがあるとそれにたよって不注意になるので手すりを設けないということは有り得ません。ただ,工事現場の仮設の手すりは信用できないので,決して寄りかからないという人もいます。信頼性のない手すりを信用するとかえって危険ですが,ではどうしたらよいでしょうか。手すりを撤去すべきか,それとも手すりを信頼性の高いものにするのか。私だけでなく多くの関係者が後者だと考えていますので,工事現場にも仮設の手すりが設置してあるのが実態です。これをゆゆしき問題と考える人はいません。労働安全衛生法でも手すりの設置を義務づけています。安全向上が目的であって,信頼性の乏しい安全設備があるなら信頼性を高めればよく,注意力を高めるのが目的ではないからです。先ずは,フールプルーフの技術的対策を行い,それで対処出来ない場合に注意力を集中するのが効果的です。四六時中維持し続けるのは無理が有りますし,嫌じゃ有りませんか。

 話を授業に戻すと,学生は授業料を払ったお客さんですが,落語のお客とは違い,単位を得る必要があります。落語の観客はつまらなくなれば隣の客と話すでしょうし,場合によってはヤジを飛ばすかもしれません。だからといって,営業妨害のかどで追い出すのは,目に余る行為でもなければ無理です。それ以前に自分から出ていくでしょう。では面白くもない講義なのに学生は何故出ていかないかというと,単位が人質になっているからです。だから,対策は簡単で,出席率を単位の要件にしなければ良いのです。評価は試験成績のみで判断すればよいです。

 おそらく,それでは学生にとって厳しすぎるので,出席を取るのは温情かもしれません。しかし,その温情に私語で報いる学生がいるのなら,温情を止めれば良いだけです。形だけの温情を維持して,教室から追い出し単位を与えないのはいかにもちぐはぐな対応です。この対応は講義の理解度を評価しているのではなく,マナーを厳しく評価していることになります。講義の第一目的がマナーの習得になってしまっています。

 マナーや倫理を守らせる為に,単位を与えないという罰則を用いるというのは,実にいやーな感じです。私語は罰金1万円という法律があるようなものです。最近は流行らなくなりましたが,かつてのスポーツの世界では馬鹿の一つ覚えのように「根性」といっていました。まるでそれが目的であるかのように。その結果,陰湿で窮屈な雰囲気がありました。大学の講義ではまだそんなところが残っているのでしょうか。いや私が学生のころはそんなことはありませんでしたから,残っているのではなく,新しい傾向なのでしょうか。