朝三暮四のサルとヒト

 次の記事を読みました。

[高知に移住したわけですが、マジで生活が幸せすぎて困惑しています : まだ東京で消耗してるの?]
http://www.ikedahayato.com/20140618/8196121.html

 事実誤認が無ければ,個人の好みなので,とやかく言うことはありませんが,思わず笑ってしまった箇所があります。「日が長い」という件です。

 「日が長い」のをメリットと感じるなんて,朝三暮四のサルじゃあるまいし,と最初は思いました。別に,昼間の時間が長いわけでは無く,日本の標準時刻に対して日の出日の入りの時刻がずれているだけのことだからです。そんな単純なことも分からずに「活動時間が長くなるんです」とは随分お間抜けな人だなあと。

 ところがですね,自分自身もイケダハヤトさんと同じような感想を感じたことがあったのを思い出しました。私は西日本の出身なので,初めて東京に出てきたとき,早起きが楽でいいなと感じたのでした。上手くすれば出勤前に一仕事できて「活動時間が長くできる」かもなんて考えたのです。現実は,そんな上手く行くはずもなく,すぐに東京時間に順応してしまいましたけどね。

 東京時間に慣れてから,久々に西日本に行くと,今度は日が長く感じます。そうするとアフターファイヴの遊ぶ時間が増えた様に感じます。もちろん錯覚です。遊ぶ時間は東京と同じです。もし増えているとすれば,睡眠時間を削っているだけのことで,それは東京でも同じようにできます。

 面白いことに,サマータイムの経済効果は逆のことを主張しています。時計を1時間進めることでアフターファイブの明るい余暇時間が1時間増え,消費を刺激し,経済への効果を期待してます。ですから,アフターファイブに残業しちゃ駄目なんですが,イケダハヤトさんは仕事の活動時間が増えると喜んでいます。なんとなく明るい時間は余暇でも仕事でも有効に使えるような気はしますが。

 結局,イケダハヤトさんも,私も,サマータイム推奨者も都合の良いように考えているだけなんですね。夕方の明るい時間が仕事に有効と考えたり,余暇に有効と考えたり,あるいは朝の明るい時間を仕事に有効と考えたり。サルは朝のドンクリを喜んだわけですが,ヒトも朝の時間を喜んだり,暮の時間を喜んだりします。錯覚に過ぎませんが,それで時間が有効に使えたり,満足感が得られるならそれも良いかも知れません。ただ,錯覚であるという自覚は有った方が良いと思います。さもなければサルになってしまいます。