貧乏

 子供の頃,自分の家が特別貧乏だと感じたことはありませんでしたね。ただ,親は商売をしていたので,収入の変動は大きかったように思います。サラリーマンのように安定してはいませんでした。羽振りの良いときは,タクシーで銭湯に行ったりしていました。スゴイ贅沢のようだけど,家にお風呂がないというのが実にアンバランス。まあ,銭湯に限らず,なにかとタクシーは利用していました。電気はこまめに消せとか細かいことを言う割に,変な無駄遣いをしていましたね。

 年末には,家族は大晦日まで集金に走り回っていました。私は年の離れた末っ子でしたので,殆ど家に居ましたが,兄弟は家業を手伝っていてまさに師走ならぬ商人走でした。季節感たっぷりです。でも,当時から親は「近頃は,昔みたいに正月という気分がしないねえ」なんて言っていました。今でも同じセリフを言う人もいますね。気分はどんどん薄れているのに,決してゼロにはならないのです。「近頃の若いモンは」という常套句がありますが,何となく似ています。

 そんな大晦日の思い出で,一度だけ親の集金について行った事が有ります。いや集金ではなくて,商品を売りに行ってその場で代金をもらったのかも知れません。多分その可能性が高いな。商品が何かは秘密です。別に違法な商いではありませんが,想像がふくらんだ方が面白いでしょう。で,その家は立派な門構えで相当裕福そうなオーラが漂っていました。我が家のお得意さんはそういう層が多かったと思います。豪農とか水商売関係の人は金払いがいいのです。田舎町でそもそもサラリーマンが少なかったような気がします。

 家の中に案内されて,お茶菓子かなにか振る舞われれて,恐縮して頂いたような記憶があります。その内,ゲンナマが差し出されて,親は恭しく受け取っていました。暫く世間話をしておいとました。帰りに親が「これで年を越せるねえ」なんて言ってました。こうやって書いて見るととんでもない貧乏話みたいですけど,当時はそれほど逼迫感はなかったような気がします。ところで,親は何故私を連れて行ったのだろう。何か役目があったのかもしれませんが,思い出せません。

 そう言えば,兄や姉が大学に入学したときも入学金を払える蓄えがなく,商品を一つ売って払ったというような話を親がしていました。秘密の商品ですが,結構高額なのですよ。まさに自転車操業という趣です。でも,商売というのは,大体が自転車操業じゃないでしょうか。回転していかないと倒産しますからね。

 私は,そんな不安定感が嫌でサラリーマンになりました。というのはウソで,成り行きでなっただけです。でも不安定感が嫌だというのは本当で,植木等じゃないけどサラリーマンは気楽な商売だと思いました。家族が商売で走り回っていたのと比べて,なんて楽なんだとね。でもそれは,思い違いで,その時に必至で勉強することはいくらでも有ったのです。そのツケが今廻って来ていて,老後の不安とか貧乏とか子供への責任とか脳裏をよぎります。

 親の姿を見ていて,「無計画な商売をするから自転車操業なんだ」と感じていましたが,結局,自分もサラリーマンになって自転車操業しています。親に似るものですね。今となっては倒れないことを祈るのみ。