クリークの思い出

 私が育った佐賀市はクリークとも呼ばれる堀が網の目のように張り巡らしてありました。埋め立てられてしまったり,まとめて幅の広いクリークに改修したりして,随分少なくなっていますが,それでも2000kmの延長があると言われます。

 今も農業用水路として使われているものは,幅の広い近代的なものになっていますが,中心市街地には昔ながらの細かい堀が残っています。子供の頃,市内で何回も引越しましたが,大抵,家の横を堀が走っていましたね。

 堀は天然のボウフラ養殖場と化しており,佐賀市は別名,ブンカ都市と呼ばれていました。網戸に蚊がびっしりと張り付いていた光景を思い出します。蚊取り線香を焚くと,布団の上に何匹もの蚊が墜落してきました。福岡に住んだときには,蚊を殆ど見かけず,なんて住みやすいんだと感動しました。

 また,岸に手すりが無いところも多く,冠水すると堀と道路の境界が分からなくなり危険でした。溺死事故もあり,気をつけろと学校で注意されました。上流のダムが出来る前は,毎年のように市街地は冠水していたように記憶があります。我が家も何回か床下浸水したと思います。

 学校は便所が浸水すると休校になりました。当時はくみ取り式で,うんこが流れ出て衛生上問題だからです。休校明けに校庭に出ると,ホテイアオイや浮き草が一面に上陸していました。暫くすると腐ってきてこれが臭いのですね。学校の周囲は当然のように堀でした。

 そう言えば,市街地のど真ん中なのに,水田が残っていました。何回か引越しましたが,物心がついた最初の家のすぐ前に有りました。足踏み式の水田揚水用の水車も有ったように思います。農業用水路として現役だったのですね。だから埋め立てられていなかったのかもしれません。でも水田はほんの一部で,一方の堀は町中至る所に有りました。排水機能があるので,埋め立てられなかったのかもしれませんが,真相は知りません。

 大昔は水質も良かったのかも知れませんが,私が暮らしていたころは,どぶ川に近い状態のものも多く,自慢できる様なものではありませんでした。いいところが全くない厄介者みたいですが,最近はクリーク公園というものも出来て,活用を図っているようです。確かに,他の地域では見かけませんので観光資源に出来ない事もないかもしれません。最近でこそ,バルーンフェスタが有りますが,当時の佐賀市は観光はさっぱりでした。観光といえば九州の絵はがきセットの思い出があります。実は佐賀県だけ抜けていて,九州6県の絵はがきだったのです。佐賀県にも有田や唐津のような観光地が有りますが,他県に比べて弱いです。その佐賀県のなかでも佐賀市はとりわけ地味でした。ちなみに吉野ヶ里佐賀市では有りません。

 いや,当時でも堀が役だったことが有りました。年末の大掃除の時に,障子をヒモで結んで堀に漬けておけば,障子紙がきれいにはがれて手間が省けました。でも,今考えると不法投棄ですね。

 以下は映像の参考リンクです。

『クリーク』−佐賀の風景−
http://www.workvisions.co.jp/weblog/2012/04/26/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%AF%EF%BC%8D%E4%BD%90%E8%B3%80%E3%81%AE%E9%A2%A8%E6%99%AF/

クリーク 〜佐賀のかしこい水〜
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