自主規制させない為の批判の自主規制

鼻血を出した「美味しんぼ」の取り締まりは大間違い
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40794

■取り締まりが間違いなのは当然

 上記記事の「取り締まり」というのは正確な表現ではなくて,「過剰な批判」というような意味合いのようです。当然ながら,検閲のような取り締まりは行うべきでないし,行われてもいません。行われているのは批判や間違いの指摘や被害を受ける当事者の抗議です。まだ行われていませんが,被害を証明出来る証拠が有るならば,被害者からの損害賠償請求や謝罪,訂正請求が行われるかもしれません。これらは正当な行為であり間違いでないのも当然です。

■空気に負けて自主規制とはヒータレ(ヘタレ)

  越智 小枝さんが心配しているのは,「取り締まり」ではなく,過剰な批判で表現をためらわせるような「空気」が醸し出され自主規制が行われることです。表現者としての矜持を持つ者がそんな「空気」に屈することはないと信じたいですが,出版者が自主規制して表現の場が失われるというおそれは確かに有ります。

 実際,日本のメディアは自主規制をしています。これは批判を恐れての事だと思いますが,悪いのは批判なのでしょうか。批判が無いのは平和で望ましい状態なのでしょうか。批判を職業とするメディアが批判を恐れるというのは,情けない気がします。一般の人を批判しすぎない配慮は必要かも知れませんが,プロが自分自身を批判されることを恐れてどうするのでしょうかね。昔,チョムスキーが日本版プレーボーイの取材で,「自由なアメリカ国内で「言うな」と言われたぐらいで「言論弾圧」なんて口に出すこと自体がおこがましい」と述べていましたね。

■適度な批判は仲間内のなれ合い

 それに,過剰ではない適度な批判とはどの程度なのですかね。実に難しいさじ加減だと思います。そんなことを要求出来るんでしょうか。実は,仲間内ではそのようなさじ加減を求められることが有ります。仲間内の和を乱さないためです。社内では,例え正しくても辛らつ過ぎる批判者は嫌われます。しかし,ビックコミックスピリッツは,同好会の同人誌ではありません。まあ,争いを嫌う人は自主的なさじ加減規制を行うかもしれませんが,人に求めてはいけないと思います。要するに批判の抑制を求めているわけで,それこそ「自主規制」じゃないですかね。

 自主規制に繋がらないように批判の自主規制を求めるというのは,自家撞着というかなかなか皮肉な状況です。こんな皮肉な事になるのは,仲間内の感覚があるからじゃないかと思います。仲間内では放送禁止用語の判断や,公共工事の受注(談合)ルールというような難しいさじ加減も阿吽の呼吸で可能ですから。適度ななあなあ批判も同様でしょう。

■批判し足りない

 越智 小枝さんの自主規制への懸念はヒータレ気味ですが,一般論として自主規制が望ましくないのはその通りです。でも,例に「美味しんぼ」を選んだのは実に不適切でした。根拠のない憶測で福島の産品は危険で住むことも出来ないという情報を流しているのですからね。こういう情報は被害を引き起こしますから慎重にうらを取るべきで,自由な議論を誘発するためというような理由で安易に流してはいけません。しかも,この情報が間違いであることは既に3年前に相当程度オーソライズされた事実です。例えればネズミ講が詐欺というのと同じ程度に確かな事実です。

 ただ詐欺を信じている人は被害を受けても擁護します。詐欺というのは政府のウソだとまで思い込んだりします。これは何とも悲しい状況ですが,信じている人がそう言うのは仕方有りません。ところが,記事を読む限り,越智 小枝さんは「美味しんぼ」がガセであると考えています。にもかかわらず批判しすぎは良くないと言うのですよ。私は批判し足りないですが。

■誰のためですか

 福島が危険だと本当に信じているなら,福島の人の為に「美味しんぼ」を書いたという意図は疑えません。問題は,その信念がいい加減な取材で根拠薄弱だということで,それが批判されています。詐欺師だって被害者の為と信じ込んでいる場合もあります。

 その一方で,自分は,詐欺やインチキ情報を信じていないくせに,詐欺やインチキ情報批判を斜め上から眺めて批判者批判する中立ぶるというか中途半端な人がいます。こういう人たちは,政府の見解も鵜呑みにしてはいけないと抽象的には正しいことを言います。でも,具体的に判断しなければならない当事者にとって,どの情報がより信頼出来るかという事が重要です。ガセネタだと知っていながら,批判しすぎてはいけない等というのは,福島の当事者の事ではなくて,自分がメディアで発言する時のことを心配しているからではないかと疑います。