大飯原発運転差止訴訟事件判決

 大飯原発運転差止訴訟事件判決を読みました。最初は,私が以前から思っていたことを代弁してくれているように感じたのですが,読み進めるうちに違和感が増してきました。感想を述べます。

 判決では,最高の価値を持つ人格権を原発は侵害していると述べています。人格権はもっとも優先されるべきものという事ですが,それだけならば飛行機事故で生命が失われることも人格権の侵害となり,飛行機の安全性が万が一にでも確保出来なければ飛行差し止めが出来る事になります。しかし,「その侵害形態が多数人の人格権を同時に侵害する性質を有するとき,その差し止めの要請が働くのは理の当然」と述べています。また,「しかるところ,大きな自然災害や戦争以外で,この根源的な権利が極めて広汎に奪われるという事態を招く可能性があるのは原子力発電所の事故のほかは想定し難い。」とも述べています。原発は飛行機などとは異なる特徴があることを説明しています。

 つまり,人格権そのものよりも,極めて多数の人格権が同時に奪われることを問題視していて,その点が他では想定しがたい原発のみの特徴であると言っています。これは私の個人的見解に近いものです。私としては,この入り口の議論だけで原発は拒否できるのであり,安全性の議論をする必要はないと考えています。

 万が一の事故もあり得ないものなど存在しませんので,大抵のものは許容出来るリスクを決めています。この場合は安全性の議論が必須です。その許容リスクを下回るように技術的対策が施されます。技術的対策に欠陥があり許容リスクを上回るようなものは認められませんが,下回るリスクは許容しているわけです。それ以上のメリットがあるという理由が有るからです。しかし,万が一の事故も認められない,つまりゼロリスクの必要性があるようなものは,技術的対策は不可能ですから,技術的検討をするまでもなく拒否することになります。

 安全技術論以前に倫理的理由で拒否されるものは他にも有ります。特に医療分野では,例えどんなに安全で,大きなメリットがあるとしても,認められないものはあります。クローン技術を人間に適用することは,技術的な安全性とは別次元の倫理の問題で判断すべきことでしょう。

 ところが,判決文では「技術の危険性の性質やそのもたらす被害の大きさが判明している場合には,技術の実施に当たっては危険の性質と被害の大きさに応じた安全性が求められることになるから,この安全性が保持されているかの判断をすればよいだけであり。・・・」と述べています。つまり,安全性を保持する技術の信頼性を裁判所が判断すると言っているのです。その一方で,「新規制基準への適合性や原子力規制委員会による新規制基準への適合性の審査の適否という観点からではなく」とも述べています。

 安全性が保持されているかの判断は新規制基準そのものの妥当性の判断にも関わる極めて専門技術的な事柄です。裁判所はそのような観点からの判断は出来ないし,しないという一方で「安全性の保持がされているかの判断をすればよいだけであり」と簡単に技術的判断が出来るかのようにいうのは首尾一貫していません。

 では,裁判官の専門技術的判断とはどのようなものかと,そのあとの学術的な地震の発生確率や技術的な安全設備の妥当性の判断の部分を読むと,裁判官はそのような技術判断はしていないのですね。1260ガルを超える地震の発生確率はゼロではないとか,事故のイベントツリーのすべての事象を取り上げることは出来ないとか述べているだけです。定量的な評価は有りません。つまりゼロリスクを求めているのです。専門技術的なリスク評価とは,ハザードの大きさとその確率(リスク)を考慮して,被害の期待値を求め,メリットと定量比較して是非を判断しなければなりません。現実的にはそこまでしておらず,事故の発生確率がある値以下になることを確認しているだけですが。それにしても,その確認過程では,すべての事象を網羅することは出来ず,影響の少ないと思われる事柄は無視するという近似が行われます。その近似が妥当かという判断も専門的で高度であり,裁判所では不可能なので,原子力委員会という専門家が行っているわけです。でも,ゼロリスクがあり得ないことは素人の裁判官だってわかります。

 安全性の判断がゼロリスクを求めるものなら,飛行機の飛行も差し止めなければならなくなります。なぜなら,飛行機の飛行に影響する気象状況のすべてを予測することも不可能ですし,事故に繋がるハイジャック犯のすべての行動を想定することも出来ませんから,飛行機の安全性が保持されているとはいえないからです。原発と飛行機の違いは技術的な安全性ではなくて,万が一の被害の大きさに有るのであり,それは裁判官も指摘しています。

 結局,判決後半の技術的判断の部分は余計ではないかと思います。安全性の技術論に踏み込むと言うことは,ある意味で原発を肯定していることになります。有る条件を満たさないから認めないというのは,条件を満たせば認めるということですから。その条件がゼロリスクならば満たすことは検討するまでもなく不可能で,技術論に踏み込む必要はありません。その場合は,なぜゼロリスクでなければならないかの理由が必要で,その説明を充実させた方が良かったと思います。