質より量

■反原発の理由
[漫画『美味しんぼ』鼻血騒動に見る健康被害より恐ろしい原発最大の問題点]
http://blogos.com/article/86120/

 この方は反原発の理由を次のように書いています。

原発の最大の問題点というのは、誤解を恐れずにいえば、健康被害なんかではなく、国民が賛成・反対真っ二つに分かれて、感情的な論争を繰り返し、いがみあうことだ。

原発特有の特徴ではない
 しかし、明らかなガセネタを信じて国民が賛成・反対真っ二つにわかれて、感情的な論争を繰り返していがみあうことは、原発以外でもよくあることです。もっと小規模な家族でも、奥さん(旦那さん)がホメオパシーを信じて、夫婦関係がおかしくなり、家庭崩壊に至るという事例は時々耳にします。国レベルでも、旧ソ連はルイセンコを信じて食糧危機を招きましたし、南アはHIVを否定してエイズ被害を拡大しました。このような事件でも支持派と反対派で論争を繰り返しています。別にガセネタでなくても、見解の相違で住民が二つに分かれ、激しい政争を繰り広げている市町村は、沢山あります。市長不信任決議議会解散の応酬の泥仕合は時々ニュースになります。記憶に新しいところでは、鹿児島県阿久根市の騒ぎがありました。

 鼻血騒動のような明らかなガセで国民がいがみ合うのは大きな問題ですが、政治問題では真っ二つに別れて論争するケースはよくあることで、これが問題ということはありません。水俣病の認定と補償を巡り住民関係がおかしくなったということもあります。

 別に、原発特有の問題というわけでもなく、感情的な論争が必ずしも悪いということでもないと思います。反原発の理由では、原発は他とは違う特別な特徴があるという説明がしばしばされます。「質」が違うという理由です。例えば放射線被害は化学物質の被害とは違うとか、目に見えない恐怖があるなどです。

 しかし、これらの特徴は別に原発に限ったことではありません。放射線は医療でも非破壊検査でも、大学や研究所の研究でも使われています。病院の放射線科反対運動や、大学の小規模出力の研究炉反対運動はあまりありません。目に見えない恐怖は、都市ガスや電気や炭火の一酸化炭素やかぜウイルスにもあります。

■大きすぎるという程度問題
 確かに、人には馴染みのないものに恐怖を感じるという傾向はあります。自動車は毎年多くの死傷者を発生する実に危険なシロモノですが、あまり恐怖は感じません。平気で運転するし、赤信号で道路を横断する歩行者もいます。飲酒運転ですらなくなりません。多分、馴染みがあるから怖くないのでしょう。原発は自動車ほどではありませんが、結構長い歴史があります。いい加減馴染んでも良さそうですが、ある地域に隔離されて立地されているため、多くの国民には時が経っても一向に馴染み深くなりません。

 このような、生活スケールを逸脱した巨大性のため隔離されていることが、いつまでも恐怖を醸し出す心理的な原因のような気がします。レントゲン撮影は生活スケールで馴染んでいますのでそれほどの恐怖は感じません。これは合理的な理由ではなく、あくまで感情的、心理的な理由です。私はこれでも十分な反原発の理由になると考えています。原発は他の危険と比べて質的に異なることはないのだけれども、量的に巨大すぎるからやめたほうが良いと考えています。従って、小規模に出来たり、巨大さにに見合った対応(例えば原発敷地を30km四方にするとか)が可能なら許容できます。それについては、別エントリーに書きました。
不公平を内在する原発(1)
http://d.hatena.ne.jp/shinzor/20130720/1374289086
不公平を内在する原発(2)
http://d.hatena.ne.jp/shinzor/20130720/1374289328

■質の違いは分かりやすいけど本当か?
 しかし、一般にアピールするには弱いようです。恐怖を訴えるには、質の違いを強調するほうがわかり易いからです。面倒くさい定量的な説明も不要です。「とにかく質が違いので危ない」の一言で済みます。ただ、私は、そういう言説はあまり信用しないようにしています。同じような質のもので許容しているものがあるからです。