世界に一つだけの花

一つとして同じものはないから
No.1にならなくてもいい
もともと特別な Only one

 STAPならぬSMAPのヒット曲「世界に1つだけの花」の歌詞は論理的に間違っています。Only oneならば,当然No.1でもありますから,「No.1にならなくてもいい」というのは論理的に変なのです。

 などと,情緒的な歌詞にけちを付けるのは野暮の極みかな。歌詞の言いたいことは,競争する必要は無いということをレトリカルに表現しているだけであることぐらい私にも分かります。でもですよ,一人一人が他人と違う花であれというのは,No.1になれと言うより難しいのではないでしょうか。ある分野でNo.1になることは大変難しい事ですが,それよりも,その分野に携わる人間が他にいないパイオニアで常にあれというのですからね。後から,その分野に参入してきた者が出てくれば,No.1であるだけでは駄目で,そいつをその分野から追い出さなければなりませんから,至難の業です。あるいは,自分が出ていき,誰も行っていない新しい分野を開拓するかです。オリジナリティを強力に求められているんですよ。

 いや,これも屁理屈かな。別に努力しなくても,そのままでそれぞれは全員違うのだといっているだけですね。1番になるために頑張りすぎるな程度に何となく思っていればよいです,歌詞なんてものは。

 ということで,歌詞から離れますが,「鶏頭となるとも,牛後となる無かれ」と言われるくらいで,世間のNo.1志向は結構強いものがあります。それと共に,個性やオリジナリティ志向も強いです。まあ,そう言うことが必要な場面も多少はありますが,経済の世界ではそんな必要はありません。いわゆる「リカードの比較優位」が示している事実のことです。

 この概念は簡単な計算をすれば,たちどころに理解出来ます。マット・リドレーの「繁栄」から引用します。

彼(アダム)が釣り針を作るのには3時間かかるが,魚を1匹釣るのには4時間かかる。オズはわずか1時間で魚を1匹釣れるが,器用な彼にしても,釣り針を一つ作るのに2時間かかる。もしそれぞれが自給自足でいくとしたら,オズは3時間(釣り針を一つ作るのに2時間,魚を1匹釣るのに1時間),アダムは7時間(釣り針を一つ作るのに3時間,魚を1匹釣るのに4時間)働くことになる。もし,オズが魚を2匹釣り,1匹と引き換えにアダムから釣り針を一つ手に入れれば,2時間働くだけで済む。もしアダムが釣り針を二つ作り,一つで魚1匹をオズから買えば,6時間働くだけ済む。二人とも,自給自足のときよりも楽ができる。二人とも,1時間の余暇が手に入る。

 つまり,釣りと釣り針作りのどちらも下手でNo.1ではなくても,分業で生きる道はあり,自給自足より豊かになれます。アダムとオズは交換と分業を行っているのであって競争しているのではないので,No.1にもOnly oneにもなる必要もないのですね。競争では負ければ損をしますが,交換と分業は両者ともに得しますから。

 ただ,ご注意頂きたいのは,オズもアダムもどちらに専念すべきは自動的に決まり,自分の好みでは決められないことです。アダムは釣りが好きだとしても,釣り針作りに専念したほうが得です。これが貿易の交渉で揉める原因になります。オズ国とアダム国のそれぞれに釣りと釣り針作りの国民がいる場合,アダム国の釣りを業とする国民は,釣り針作りに転職を強いられます。

 競争ではなく交換をしていると言いましたが,部分的な局面を見ると,同じ職業に就く両国の者は競争していることになります。ただ,競争に負けたからといって生きる道が無くなるわけではなく,転職すれば生きる道はあります。そして,その方が経済的にも得になります。しかし,人間は経済性だけでなく好みがありますので,農業が好きという理由でTPP反対する人も多く,なかなか難しい問題だと思います。ただ,現実には徐々に,日本の農業従事者は減少して転職しているのが現実です。

 なお,国がTPPのような自由貿易を選択したからといって,個人の職業選択の自由を奪うわけではありません。比較劣位の職業が経済的に苦しくなるだけです。自分の好みを優先する人は比較劣位の職業を選んだって構いません。ただし,国民全体の利益を考える国は自由貿易を選択すべきで,一部の比較劣位の職業を優遇するために,国民全体の利益を損なう保護主義を選択するのは間違いだと思います。

 個人には職業選択の自由があります。特に個性やオリジナリティを重視する人は,経済的に苦しくても,生計が成り立たなくても好きな職業に拘る傾向があるようで,その自由はあります。当然個人の好みですから,国に経済的な支援や保護を求めるというのは筋が通りません。国に保護を求めるのであれば,個人の好みではなく,公的な理由が必要でその一例が「食糧安全保障」です。これが理由たり得るとは私は思いませんけど,公的なことはこのエントリーのテーマではないので割愛します。

 テーマは,個人レベルの「世界の1つだけの花」なので,それに戻ります。職業とは何の為にあるのでしょうか。第一に生計の為だと思います。つまり経済的な理由です。もちろんそうではない人もいます。芸術家肌や職人気質で好きなことをして暮らしたいという人もいます。芸術家なんて殆ど食べていけませんから,副業で生計を立てている人が多いのではないでしょうか。こうなると,副業が本来の職業で,本業は趣味と言った方がよいのではないでしょうか。極めて恵まれた人だけが,趣味と職業が一致するだけです。

 その職業分野でNo.1になるのは至難の業です。僅かの人だけしかなれません。でも,職業を細分化してその職業には世界で一人だけしか従事していないのなら,全員がNo.1になれます。「世界で一人だけの花」状態です。でも,その細分化に意味があるでしょうか。それぞれが勝手に細分化して自分は Only oneだと自己満足しているだけのことではないでしょうか。いや自己満足も難しいかもしれません。なぜなら,世界で一つだけの自分の職業が自分のやりたいことに合致することは殆ど不可能だからです。

 現実には,分業体制の元での職業は自分の好みとは無関係に決まります。しかも,その職業は世界でOnly oneでもなければ,その職業で自分がNo.1でもありません。しかし,経済的には自給自足より恵まれます。多分,余暇も生まれ,好みの趣味も楽しめます。それで十分ではないかと私は思いますが,満足出来ない人もいます。Only oneやら自分らしさやら自分探しやらで,何か追い求めているような。

 「世界に一つだけの花」は逆にそんなことは気にするなよと言っているのかもしれません。でも,それにしては格好良すぎませんか,Only oneなんてのは。何だが自分だけのライフスタイルを要求されているようで。まあ,あの歌詞が好きではないという嗜好の話でした。途中で別のことを期待して最後まで読んだ人には,申し訳ない。