直属の上司と全体を俯瞰する立場

 話題の事件がらみで,昔,職場で話していたことを思い出しました。組織的な仕事の責任の話です。実際とは設定を変えて説明します。

 お客さんから受けた仕事の一部を外注した場合に,外注先の不始末でもお客さんに対する責任は発生するのは当然です。ところが,責任を負わされるのは納得出来ないという人が結構いて議論になりました。というのも,少し責任形態が通常の仕事と違っていたからです。通常の仕事は会社全体で組織的に行いますので,お客さんに対する責任は会社全体で負います。担当者のミスは社内的なペナルティが有るものの,お客さんに対する損害賠償金を担当者が負担することは有りません。

 しかし,その仕事は,プロジェクト毎に担当者に業務命令が発令され,会社とは独立したような強い立場になるのです。担当者のミスでお客さんに損害を与えた場合は賠償責任も有りうるという特殊な扱いになっていました。

 となると,外注先も担当者が信頼出来る相手を選びたいわけですが,それは会社が選んで外注していました。担当者としてはそれでは心配になり,外注したくない,自分で行った方が良いと考える訳です。結論は外注することになりました。実際上,担当者に賠償させるような事例は殆ど無かったのでそれで納まったという次第です。

 実は,通常の仕事では議論になりませんが,同じ問題が潜んでいます。組織的な仕事は上司が部下のミスの責任も負います。監督責任と言われるものです。しかし,実際上,部下を四六時中監視出来ませんし,部下の仕事を全部チェックしたり出来ません。チェックは抜き取り的にしか出来ないわけで,そうでなければ,一人で仕事するのとあまり変わらなくなり,組織的に行う意味がありませんからね。社長が社員の仕事を全部把握していることなんて有り得ませんが,責任は負わざるを得ません。

 つまり,組織的な仕事は組織内の信頼が無ければやっていけないということです。極論を言えば上司とは具体的な仕事はしなくて良いけど,責任を取る為にある立場のようなものです。軍艦の艦長は普段は旨いものをくってパイプでも吹かしていれば良いけれど,沈没するときには船と運命を共にしなければならないと言われたりしました。もちろん極論で,上司には責任を取るだけではない仕事もあります。責任だけ取り他の仕事をしないのは名義貸し(ギフトオーサーズシップ)という不正になります。不思議なことに名義貸しの不正をしている奴に限って,仕事していないので責任を取らされるのは納得できないと感じたりするようです。貸すだけの約束だったと言うわけです。内輪の約束はそうでも,対外的には通用しないどころか,不正な約束という自覚が無いようなのです。

 繰り返しになりますが,組織的な仕事には信頼が必要で,上司は責任を負います。不幸にして信頼していた部下が信頼を裏切る事もありますが,それも含めて仕事の失敗であって責任が有ります。

 常態的なライン組織なら,そんなことは言われるまでもないでしょう。しかし,仕事の形態によっては微妙になって来ます。プロジェクト毎に臨時的にメンバーを寄せ集めたりする場合,責任の所在が曖昧になったり,そんな責任まで負わされるのは納得出来ないという感情が出てきたりします。前述した事例がそうでした。いわゆるマネジメント的業務(特に人事管理)の意識が低く,自ら現場仕事を行いたい職員気質の人が多かった事もあります。こういう人は自分が直接行った仕事に誇りを持っているけれども,他の人の仕事の責任は負いたがらないのです。外注先を監督する総括的立場だとしてもです。