研究と特許競争

■日経記事

理研改革委、研究の運営体制などに絞り提言
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK1301A_T10C14A4000000/

 STAP論文の問題をめぐり、理化学研究所が設置した外部の有識者による「研究不正再発防止のための改革委員会」(委員長、岸輝雄・東京大名誉教授)は13日、都内で会合を開いた。研究の運営体制などに対象を絞って議論し、来月にもまとめる提言に盛り込んでいく方針を確認した。

 会合では、研究のマネジメント体制や実験ノートの記載ルールについて理研側が説明した。理研の研究室によって、実験ノートの記載がまちまちであることが分かったという。

 各委員からは「所属長の個性が出るから研究にとって非常にいい半面、大きな問題が起きると共通因子がもしかすると少し欠ける部分がある」などの指摘が出た。改革委は権限をもつ管理者がチェックする体制を整える必要があるかどうかについて議論していく。

 改革委は今後、緊急性の高い分野として生命科学などライフサイエンス分野での研究の運営体制などに絞って議論する。岸委員長は会合後の記者会見で「現場においての仕組み、紙に書いたルールはかなり良くできている面があるが、それを実行する体制をどうするかということが大事だ」と語った。


■予防的措置の危険性

 理研にとって必要なのは「研究不正再発防止のための改革委員会」よりも「広報失敗再発防止のための改革委員会」じゃないかと思いました。その理由は,「大騒ぎになったわけー騙される側の問題」http://d.hatena.ne.jp/shinzor/20140411/1397206334
に書いています。研究者の不正よりも,研究所の売り出しの失敗という問題だと思うからです。

 犯罪や不正が全く無い世界は空想のユートピアでしかなく,しかも理想の世界ではなくディストピアであったというのはSFで良くあるテーマです。犯罪,不正,病気等々は少ないに越したことは有りませんが,ゼロにしようとすると弊害の方が大きくなる可能性があります。犯罪をゼロにするためには,芽のうちに摘み取る予防が必要になります。例外的にそのような予防的取り締まりも行われており,過激派を対象とした凶器準備集合罪,暴力団を対象とした暴力団対策法,そして共産主義を対象とした治安維持法などが有ります。これらの特徴は一般的な犯罪行為が無くても取り締まれることです。集団そのものを撲滅するのが最終目的なのでそれでもよいという判断なのでしょう。

 この種の規制を研究者の不正に対して適用すれば,不正だけでなく,研究者集団(研究所)を撲滅しちゃいそうです。例えば銀行の出納のようなルーティンワークは,不正や間違いが無いように厳正な業務管理が必要で,厳正にしたことで業務が多少非効率にはなっても,執行不可能になることはありません。しかし,創造性が必要な研究で同じような管理を行えば,研究者の公務員化を招き,有用な研究も生まれなくなりそうです。誤解の無いよう補足しますが,不正も許容せよと言っているにではありません。不正が発覚すれば,事後的な処分は当然あります。

 厳罰化とは不正が割に合わない行為であることを知らしめ不正を牽制する方法ですが,必ずしも法や規定という形にする必要はありません。今回の事件では,小保方さんの不正は,全く割に合っておらず,真似しようと思う研究者がそれほどいるとは考えられません。

■被害者は誰?

 理研には国費が投入されているので,国民に被害を与えたという意見が有ります。再び被害を与えないような防止策が必要だと言うわけです。しかし,今回の騒ぎでの国民の被害はそれほど大きいでしょうか。不正や不注意で無駄になる税金が研究所で皆無というのは非現実的です。大学や研究所には変な研究をしているトンデモっぽい研究者も存在します。ろくに成果を上げられない研究者も沢山います。研究は極めて歩留まりの悪い仕事です。そう言う無駄も必要経費みたいなものではないでしょうか。直接的には役に立たない数多くの研究の中から一握りの研究が成功し,応用されると社会に膨大な影響を及ぼします。それに比べれば,研究費は微々たるものではないでしょうか。

 そのことは,間違った研究が社会に応用されると莫大な被害を及ぼすということも意味します。例えば,旧ソ連のルイセンコ事件やイギリスの心理学者バートのことを考えて見れば明らかです。それに比べて,今回の事件ではネットの集合知であっという間に不正疑惑が浮上しました。過去の不正事件の発覚までの時間と比べても圧倒的に短いです。巧妙な不正というよりも,未熟な研究者が自覚もなく不正行為を働いたという印象です。

 問題は,そんな稚拙な不正を指導的研究者や研究所が見抜けずに,大々的に広報してしまったことです。その結果,大きな被害を受けたのは,自業自得の小保方さんと理研自身です。理研の委員会が考えるべきなのは,ガセネタ研究を間違ってフィーチャーして,自らが大きな被害を被らない自衛策ではないかと思います。 

■研究者の不正防止策

 ということで,大枠では,研究者の不正防止策はあまり役に立たないと思うのですが,もう少し具体的に考えて見ます。「マネジメント体制」というものが,研究者全員を監視して不正を予防しようとするのであれば,管理する側もされる側も膨大な手間を要するので,形骸化必至でしょう。かつての公務員不祥事対策を思い出します。公務員倫理規定事例集にはまるで子供扱いするように,懇親会での飲食の提供から見舞金や記念品の金額まで示してあります。これが意味するところは,マニュアル(規定)に従い機械的に仕事をこなし,自分で判断するなということです。疑義が生じたら自分で判断するのは危険です。必ず上司に伺い,責任を上司に転嫁する必要があります。こういうマニュアル向きの仕事も有りますが,高度な判断や創造性が必要な仕事には不向きです。

 また,「実験ノートの記載ルール」とは,後々のトレーサビリティのためでしょう。つまり,不正が疑われた場合に正当性を主張するために必要なもので,不正防止には直接関係しないと思います。不正は無かったけれども,実験ノートが不十分だったため不正を疑われたという事件であったなら,再発防止策と言えるでしょうが。また,悪意があれば実験ノートのねつ造も出来ます。

 不正や間違った研究をなくすことは所詮無理だと思います。研究者全員を監視しようとすれば管理者はパンクします。重要なのは,不正研究を外部に広報しないことでしょう。これなら対象研究だけ検証すればよいので可能です。

■研究所の自爆の背景ー特許

 さて,不正研究を誤ってフィーチャーしてしまう背景については,以前のエントリーに書いた他に「特許」があると思います。研究と特許は本来相容れないものではないでしょうか。科学はオープンなものですが,特許競争では秘密主義になります。今回の事件も特許がらみで不透明になっています。

 ある建築の技術について,業界の方から聞いた話があります。技術開発について指導を受けていた研究者から,「この技術は,安全に係わり,社会に普及させる必要があるから特許は取るな」と言われたそうです。でも,学術的な論文が有るわけでもない,実用技術です。しかも,私企業が開発した技術です。企業秘密に徹するという立場は有り得ます。

 企業は利益追求が目的ですし,特許も利益に関わるものです。一方,科学は人類共有の財産みたいなものかと思います。発明・発見の名誉は研究者個人に属しますが,成果は人類全体のものだし,研究自体が国境さえ越えたオープンな情報交換と協力と分業で行われるものじゃないかと思います。

 実は国際関係も同様です。国際交易は両者に利益があるので行うのであって,けっして競争ではありません。しかしTPPの議論でも有るように,狭い範囲で見れば潰れる業種も出てくるため国際競争という誤解が有ります。同様の誤解が科学技術の分野でもあり,あたかも国際競争を行っているように言われます。そして,国と国の競争なら特許は国が保有しなければならないのに,研究者個人が持っています。しかも,一国の研究者ではなくて,複数の国の研究者に連名になっていたりします。一体どうなっているのでしょうか。多分,特許取得は科学の営みや国益とも別に,並行して行われている何かではないでしょうか。

 オープンで協力的な科学と排他的で秘密主義の特許が絡み合った結果,問題が生じているような気がします。科学は客観的なものですから,成果の評価も客観的に行われます。つまり,誰もが理解出来て評価が定まります。最初は専門家しか理解出来ませんが,応用され社会を変えるようになると,素人でも評価出来るようになります。ただし時間はかかります。特許の秘密主義が絡むと,この評価が定まるまでの時間が延びるという弊害があるのではないでしょうか。

 特許は,新規性があれば良く,正しいことや役に立つことはそれほど重視されません。間違っていそうでも,取りあえず片っ端から特許を申請しておくというのは良くある事です。塩漬けになって使われない特許はごまんとあります。その中から利益を生み出すものがあれば利益追求の目的には十分なのです。別に間違いや役立たずの特許を保有していると非難されることもありません。

 しかし,国の枠をも超える公益的な科学の研究では正しさが命です。その確認と評価を妨げるのが特許であり,その時差の間に様々な不正を引き起こすのではないでしょうか。不正はいずればれますが,その短い間に行われるのが,詐欺や不正です。特許はその機会を増やしているわけです。

 逆にいうと,科学を捨て特許競争の世界に特化すれば,不正と非難される事もありません。例えば研究者個人の利益や国益の為というのならそう言う選択も有り得ます。同業他社と競争する私企業と研究者や国を同じようなものと見なせばそう言うことになります。特許の正しさに拘る必要がありません。役立たずでもそれほど不利益にはならず,正しく役立つのであれば大きな利益になります。特許競争で勝ち世界で1番になるかも知れません。

 しかし,国際社会の各国は競争する同業ではなく,協力する異業種です。同業の競争はゼロサムゲームなので,それで1番になっても,協力と分業の2番よりも成果や利益が下回るのが普通です。