実験のコツ,匠の技

 「実験のコツ」がちょっと話題になりました。(なっていないかな)本人しか体得していないコツならば,第三者の追試が不可能なので困ったことになるわけです。とはいえ,文章化できないコツが有るのも事実です。

 TVなどで紹介されご存知の人も多いのは、ひよこの雌雄判別師。生後1日のひよこの肛門を見てオスメスを鑑別する技術です。ただ、その方法は言葉では説明できないため、習得したい生徒は先生の見ている前でとにかくトライします。その結果を先生が「よし」、「だめ」と評定します。これを繰り返すうちに生徒は鑑別できるようになるというものです。これは日本発祥の技術です。

 こういう武芸の鍛錬のような技術は日本特有かというと、そうではないことが「意識は傍観者である」(ディヴィッド・イーグルマン)に述べられています。第二次世界大戦中のイギリスで、襲来するドイツ機と帰還するイギリス機を迅速かつ正確に見分ける「監視員」がいたそうです。貴重な監視員を増やすため他の人を訓練しようとしたけれども、「監視員」は言葉ではその特技を説明できなかったそうです。結局、ひよこの鑑別師と同じ方法で新人に判別技術を身につけさせたそうです。

 さて、ひよこ鑑別師や監視員がどのように判別しているかわからなくても構わないのは、判別結果が正しいことは時間をかければ確かめられるからです。ここで時間をかけて確認しているのは、「特定の鑑別師は信頼出来る。」ということで、「特定の鑑別方法が信頼出来る」ではありません。「特定の鑑別方法」が如何なるものかすら分かっていないのですから当然のことです。「特定の鑑別師が信頼出来る」と分かれば、あとはその鑑別師の鑑定結果を時間をかけて確認しなくても、信頼してもよいことになります。それ以降は実用段階です。

 これは、薬の研究開発に似ています。薬がなぜ効くか機序はわからなくても、治験で効くことを確かめれば使えます。ここまでが研究開発段階です。確かめたあとは、一般の患者に使う実用段階になります。

 ただ、鑑別法と新薬開発では少し違いがあります。新薬の作り方は分かっていて、名人でなくても作れることです。そこで、鑑別法と同じような場合を考えてみます。作り方は判らないけど、特定の製作者の作った新薬が効くことを確かめるのです。このようにして確かめられた新薬も一応信頼して使うことが出来ます。生産者表示の農産物みたいなものです。

 でも、実は新薬と効果の同じ既存の薬が遭ったとしたら疑念が生じますね。新薬と言っているけど、既存の薬とすり替えているんじゃないかと。すり替えが行われていなかったとしても、決定的な実用上の欠陥があります。その製作者しか作成できないのなら製品化は絶望的です。極めて少ない需要にしか対応できません。教祖様しか出来ない手かざし療法みたいなものです。もっとも、鑑別法のように教育法があれば使えるかもしれません。

 似たような問題が、町工場の「匠の技」にもあります。

町工場は「匠の技」を持っているという幻想
http://blog.livedoor.jp/manamerit/archives/65654237.html

砲丸投げの球をどんだけ高精度に作れるか誇ったって、そんなの世界にたかだか数人いれば足りてしまう需要しかないし、逆にそうでない需要があれば、専用の機械を作っちゃう。

ついでに言っちゃうと、H-2AのSRBの先っちょのへら絞りが動向とかもあるけど、機械設計は本来、そういう特殊な工程を経なくても作れる部品で、所定の性能を発揮させられるように作るのが設計者の仕事であるべきやろ。と自分の首を絞めてみる。

 オリンピックの砲丸投げ選手が使うような砲丸はそもそも需要が少ないので町工場の匠でも対応出来ます。H-2Aの部品も匠の技で十分まかなえます。しかし、量産品を作りたいなら、それでは困ります。普通の工場でも製作可能な設計をしなければなりません。

 研究者は、自分自身を希少な宗教の教祖や匠にするために研究しているのではなくて、自分がいなくても使える社会の「道具」を研究しているはずです。