管理されたい症候群

気象庁津波過小評価で妻死亡」提訴
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140313/k10015944061000.html

 この種の訴訟は今後増えるような気がします。なぜなら,昔は無理だったことも,現代では人工的に管理できる様になったことが多いからです。そんな環境に慣れてしまえば,自然現象も誰かが管理して当然と幻想を抱いても不思議ではありません。

 ・・・気象情報が外れ収穫が減った農家は,気象庁に損害賠償を求めよう。海で溺れたら海難救助活動を行う海上保安庁の責任を問おう。管理社会では大抵のところには管理者が存在し,責任を問えるのだ。ただ,カラスの糞が落ちてきて服が汚れてしまった場合のクリーニング代の請求先は不明だ。カラスの管理者が定まっていないのはゆゆしき問題ではないか。早急に役所は体制の整備を図るべきだ。役所の怠慢の糾弾に立ち上がれ!・・・

 というような話は今のところ冗談として通用しますが,将来は分かりません。例えば,イタリアでは地震予知に失敗した科学者が訴えられるというウソのような事件が既に起きています。
「裁かれた科学者たち ラクイラ地震で有罪判決」
https://facta.co.jp/article/201302018.html

 身近な実話もあります。駐車場に隣接する自然林の松の木が台風で倒れ車が損傷したとして,林の管理者に苦情を申し入れた知人がいました。その人は「一体どんな管理をしているのだ」とプンプンでした。でも台風なんですけどね。多分,全部伐採すれば被害は予防できるのに何故しないのだ,といいたそうでした。

 ただ,日本とイタリアのようなところでは大きな違いが有るのかも知れません。日本人はお客様を神様と扱い,如何なる要求にも応えてきました。お客も応えてもらうことを当然のことと期待しています。しかし,偏見かもしれませんが外国って結構いい加減な感じがしませんか。そもそもお客も最初から大したことは期待していないのではないでしょうか。しかし,何も要求しないと本当に何もしてくれないので,激しく要求するわけです。要求の一部でも通ったら儲けものぐらいでサバを読んで訴訟を起こしているかも知れません。

 私が子供の頃の日本も,そのくらいいい加減だったような覚えが有りますが,最近はみんな生真面目です。要求には100%応えなければならないし,不可能などというのは怠慢だと考えている様です。「不確実,歩留まり」という概念がなくなっているように感じます。まともな人間に不確実は有り得ず,不確実という奴は責任逃れをしていると見なされるような空気を感じます。

 いや,大げさに書きすぎましたが,全くの妄想とも思えないのですね。身近な事なら不可能,不確実な事があることは誰だって理解出来ますが,遠い世界,例えばお役人や大企業には非現実的な完璧を期待してしまうのではないでしょうか。

 如何にテクノロジーが発展しようとも,管理できないことや,不運な出来事があることは自覚すべきと思うのですけどね。確かに「不運」ほど怖いものはありません。誰に責任を問うこともできません。不満だろうが,納得がいかなかろうが,受け入れざるをえませんから。どこかに,「不運の犯人」がいた方が,気が休まると言うものです。

 最近「納得がいかない」という言葉を耳にすることが増えています。気のせいかな。