絵狩り

 以前の記事「人工知能学会表紙絵続編」
http://d.hatena.ne.jp/shinzor/20140307/1394182038
で,絵を見て差別だと批判するのは,自分の文脈を押しつけているだけだと述べました。例えば,戦争の絵の意図は,戦争礼賛なのか反戦なのかは,作者の行動や発言などの文脈と併せて考えないと分かりません。悲惨な情景の絵なら反戦だろうと推測できそうですが,正確とは言えません。人間の感覚は激しい個人差がありますので,悲惨な状況を克服せよと鼓舞していないとも限りません。プロレスの流血シーンに興奮するファンもいます。

 単語も文章の文脈の中で解釈しないと意味が確定しない面があります。しかし,それを無視して単語に勝手な文脈を付随させて規制するのが,言葉狩りです。放送禁止用語が代表ですが,これは自主規制に過ぎません。通常,差別的意図でしか使われない単語も有りますが,そんな差別語だらけの文章が有ります。差別語の解説文です。当然,解説者に差別的意図は有りません。小説の登場人物のセリフに使っても,作家は差別主義者とは限りません。

「八百屋」「魚屋」「床屋」は職業差別,「めくら壁(開口のない壁)」,「ダム・ウェーター(小荷物専用昇降機)」は障碍者差別と,公的機関は使わないようです。しかし,搬送機器メーカーは気にしないでダム・ウェーターと表記していますね。建材メーカーは平気で「ブラインド」と言っています。

 というような馬鹿馬鹿しさは盛んに言及され,最近は冗談としても陳腐化していますが,「差別絵」も同じようなものではないでしょうか。「人工知能学会誌の表紙」という文脈から,女性蔑視という意図を読み取る理路が私にはさっぱり分かりません。「片手落ち」はけしからんとNHKに抗議するのとあまり変わらない様に思います。

 個人的な嫌悪感を表明するのは自由ですが,潜在的に差別感情が有るのだと糾弾されてはたまりません。外形的に目に見える文脈ではなく,心の中の意図という見えないものを批判されるのは恐怖です。