「数学はそんなには必要ない」の意味するもの

 バッタもん日記の語学屋さんのコメント
http://d.hatena.ne.jp/locust0138/20140302/1393766550#c1394265069

語学屋 2014/03/08 16:51 そんなに誰かれとなく数学が必要なら
なぜ事実上誰も学校を出た後に数学を勉強していないのでしょうか
それは「そんなには」必要ではないということに他ならないでしょう
英語となるとTOEICなどからそうも言えないので
勉強するなら数学の前に語学というのが科学的思考といえます
「そんなには」否定論は例外の列挙にすぎないのではないでしょうか

 確かに,学習の順番としては数学の前に語学だと思います。実際にも,数学は小学校では習いません。数学は中学校以降です。これは何故かというと,抽象的思考の数学をいきなり習うのは難しいからで,先ずは具体的事例を先に学んだ方が良いからでしょう。次に,そこに共通する関係や法則を見つけ出せるようになって,抽象的型式に整理した数学を学ぶということではないかと思います。

 具体的事例とは国語や生活という教科のことで,算数もその1つです。算数は初等的な数学の一具体例だということは明白ですが,国語も数学の一具体例ではないでしょうか。もちろん,国語を数学的に表現することは未だ出来ていませんが,部分的には研究も行われているかもしれません。言語構造と数学との共通点について着目する人は多く,寺田寅彦も述べています。

「数学と語学 寺田寅彦
http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2364_13805.html

 言語と数学は脳の同じ中枢で処理されるのではないかと考える人も多いようです。ただ,研究によると,言語中枢が破壊された人でも数学パズルを解くことはできるそうなので,全く同じということはなさそうです。とはいえ,数学的処理が全く出来なければ言語も使えないのではないでしょうか。数学的処理プラスアルファが言語には必要という気がします。


 数学は科学の女王と言われることが有る一方で,実証科学ではないとも言われます。実証とは外部世界の観測によって新しい事実を収集し,それが理論に合致するかを確認する作業です。それに対して数学の証明は,前提条件と推論規則によって,いわば同義反復の言い換えをしているだけです。前提条件で構成される世界の構造の見方をいろいろ変えているのであって,反証されることは有り得ません。(間違いが見つかる事はある)

 従って,前提条件を満たす具体的対象には数学的構造が有りますので,なんであれ数学の定理が適用出来ることになります。定理はすべて同義反復に過ぎないのですが,様々な表現に変形されており,具体的対象を知るには極めて役に立ちます。このため数学は実証科学に応用され,それが,科学の女王と言われるゆえんでしょう。自然科学に限らず経済学でも言語でも前提条件の確認さえ怠らなければ適用できる筈のものです。いずれ数学は学問の女王といずれ呼ばれるかもしれません。

 この汎用性の大きさは,具体的場面に適用する場合には,そのままでは不便です。何にでも使える道具は使いにくいようなものです。そこで,更に具体的条件も加味してカスタマイズした専用道具が,他の学問です。ここまでは,事実を淡々と記述する学問ですが,人間の価値観を反映した実用上の条件も加味していくと応用技術(医学,工学など)となります。

 応用技術は基礎理論を理解していなくても使える様になっています。つまり,すぐに役立つわけです。一方,数学のままでは非常に使いづらいわけで,これが数学は役に立たないと言われる理由でしょう。英語も実用上役に立ちますが,文法を知らなくても話せますし,知っていても役に立ちません。数学なんか「そんなには」必要ないというのなら,文法も「そんなには」必要ないと言わねばなりません。こういう教育は寺子屋の読み・書き・算盤のようなもので,士農工商の身分社会で暮らす分には十分と言っていることに他ならないのではないかな。