下から7割の人はご用心

下から7割の人のための理科&算数教育
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20140225

 大胆に要約すると,ちきりん氏は能力に応じた画一的ではない教育を主張しています。例えば,階級社会の伝統が残る英国は画一的でない教育をしていますが,それをお望みかもしれません。日本でも,従来の画一的受験コース離れの結果かどうか断言できませんが,社会の格差が大きくなっています。

 従来の日本の教育は,軍隊をモデルとした画一的知識を詰め込む方式でした。大量に均質な社会人を効率的に生産するためで,その意図は成功し,世界的にはまれに見る平等な社会が形成されました。しかしながら,欠点も当然あり,詰め込み教育,個性無視と批判され,自由度の大きいゆとり教育に舵取りが行われました。それに並行して,個性重視の風潮で,身に職を付ける専門学校に人気が出ました。別に大学進学だけが人生ではないという全くの正論とともに,大きな潮流となったのでした。

 それと符合するかのように,学力の低下,若者の格差拡大などが進み,再び進路修正が行われています。おそらく,従来の画一的教育はちきりん氏のいう下から7割の人の学力と社会的地位維持に効果が有ったのではないでしょうか。高度経済成長期においては,人材の量が求められたので,7割は重要でした。

 なお,画一的教育では,ちきりんさんの望むような科学的思考法を身につけさせるのは困難です。そもそも科学的思考法を身につけるのは一朝一夕には行きません。私も大人になってなんとなく分かって来たぐらいです。学校教育では,定型パターンを教えるぐらいが関の山です。多くの定型パターンを経験して,それを一般化して科学的思考法がやっと身につくのです。天才ファインマンさんは,父親から学んだそうです。長期間の個別指導が必要で,学校教育では困難です。もちろん立派な先生もいますが,これは例外的な幸運であり,一般的に期待出来るものではありません。

 一方,個性重視教育では,上から3割の人の学力と社会的地位の向上に寄与しましたが,下から7割はいわば見捨てられたというのが実態でしょう。IT社会では,創造的で天才的な人材が求められますが,数はそれほど必要ありませんから,それでも良いわけです。欧米は概ねこの様な社会で,特に,米国は一部の才長けたものは大金持ちになり,そうでない大多数との格差は非常に大きいです。これを称してアメリカンドリーム社会と言います。7割は夢を追い,3割が実益をえる社会です。

 これは,一山を狙う博打的社会とも言えます。プロスポーツ選手や芸能界のスターを目指すようなもので,3割どころか1%の成功者の影に99%に死屍累々の山があります。私の兄は博打打ち傾向があり,子供に高額の賞金を稼げる競輪選手になれなんていってましたけど夢に終わりました。

 どちらの社会を選ぶかは好みの問題だと思いますが,私は安全志向なので画一教育を選びます。勘違いしてならないのは,個性重視教育は決して下から7割の人たちに優しくないということです。基本的に自分たちで自由にやれで,丁寧に教えてくれるわけではありません。それを求めれば,確実に教師はパンクします。公教育がそれぞれに適したものを提供するのは無理じゃないでしょうか。

 
 勝手に自由にやるということは,自分で自分にあった民間教育を探すことです。優秀な人材を生み出す民間教育ももちろん存在しますが,流行に乗って宣伝している類の民間教育は,教育よりも商売重視のものがあります。もちろん,高い品質の商品としての教育を提供出来れば,教育としても商売としても長続きするわけですが,そうでないところは,問題を起こして短期間で破綻しています。下から7割の人はそう言うところに捕まらないように注意した方がよいと思います。

 なお,初等教育は,画一的,強制的教育にならざるを得ないと思います。小中学生が将来の人生設計をして,それにあった科目を選択するなどということは無理でしょう。大学生だって,むずかしいのです。私は,選択が間違っていたとして,違う学部に入学しなおした奴を知っています。人生設計が出来る最低限の均質なレベルまで育てるのが中学校までの教育かと思います。最近では,高校までに変化しているかも知れません。それどころか,大学でbe動詞を教えるなんて話題があるくらいですから,大学も怪しいものです。

 個性的で自由な社会とは,競争の厳しい社会でもあると思います。皮肉なことに競争に負けそうな下から7割の人も自由な競争社会にあこがれがちです。たまたま成功する場合もありますが,希ですので成功談を真に受けない方が良いと思います。