採点競技に疑惑を感じる理由

■専門家を批判する素人
 冬季オリンピック時期になると、床屋談義で毎度出る話題があります。採点競技の不正疑惑です。極論になると,採点競技はいらんとまで言い放つ奴もいます。普段はろくに競技を見ないし、ルールもよく知らない私のような素人が言いたい放題,勝手なものです。所詮床屋談義ですが,専門家の間でも採点を巡ってゴタゴタはあります。さすがに競技を止めろというのはありませんけど。
 このような疑惑が生じる理由を主にフィギュアスケートを例に考えて見ました。ただし,私はフィギュアスケートをよく知りませんので,専門的な点について誤解や間違いがあるかも知れません。ご指摘頂けると幸いです。また,具体的な採点の是非は判りません。

■浅田選手の演技が一番に感じる理由
 ソチオリンピックフィギュアスケートでも,米国と韓国がソトニコワキム・ヨナの採点に不服を言っています。これは,一応専門家の苦情です。一方,日本では,一部の素人が浅田選手の採点に不満を感じています。フリーの演技は浅田が一番に見えるのに,3番だったためです。採点の内訳を見ると,浅田のプログラム構成点が上位選手に比べ低くなっています。プログラム構成点は,技術点に比べ主観的なので,恣意的な採点が行われているのではないかという疑いの理由です。

 この疑いを持つ人はバンクーバーの時からそれなりにいるようです。キム・ヨナは技術のない平凡な選手なのに,主観でどうとでもなるプログラム構成点で高得点を与えられているという説を展開している人もいます。それに比べ浅田は誰の目にも明らかな技術を持っているというわけです。確かに,音楽の解釈という採点項目なんか相当主観的です。

■技術点は客観的か?
 では,技術点は客観的かと言われると,どうも怪しいです。素人目にはプログラム構成点は感覚的に判りますが,技術点は判定が難しいです。私なんかは,ジャンプの回転数やら,アクセルだのサルコーなど言われても殆ど区別出来ません。出来映えも殆ど判りません。さすがに転倒したりすれば判りますが。なのに,技術点は素人の自分でも判ると勘違いしていました。判ると思っていたのは専門家がリアルタイムで解説をしているのを聞いて,それを自分で判断したと思い込んでいただけなのです。それに比べれば,プログラム構成点のほうが,感覚的に素人でも判ります。


■何をもって一番とする競技なのか(モーグルの場合)
 以前に「採点競技の解説者」にモーグルの採点について書きました。
http://d.hatena.ne.jp/shinzor/20140210/1392023189 
 モーグル関係者はどのような選手を一番巧いと評価するのかについて考えたものでした。比較的新しい競技であるモーグルでは,採点基準の変遷が判りやすいのです。そもそもは遊びでコブ斜面を滑っていた連中が誰が一番巧くてカッケーのか決めようとしたのがこの競技の始まりです。当然,採点基準はありませんので,見た目の印象で決めたわけです。当初は速くて派手なのが一番でした。暴走気味でも良かったのでした。しかし,暴走小僧はその内大けがします。長い間一番を維持するためには,安定感が必要で,それは難しいことを何気なくさらりとやってのけることも意味し,玄人っぽいカッコ良さに成熟したと言えますし,温和しくなったとも言えます。(安定感ならスライドターンが良いわけで,カービングターンのメリットである速さはタイムで評価されています。スライドターンの減点が小さくなったというルール変更は必ずしも不合理とはいえないと思います)
 さらに,公式競技となると客観的に見える採点基準が必要です。速さはタイムを計れば良いですが,安定感は単純ではありません。そこで,他の競技に倣い,要素に分解して,それぞれの要素を評価し,合計する方式を採用しました。要素の合計は機械的に計算すればよいので,実に客観的に見えます。でも,実は要素の評価は相変わらず主観的なのですけどね。
 それはともかく,モーグル仲間が一番巧いと考える姿というのが最初にあって,それを採点基準の要素に分解しているのです。要素が最初にあって,その合計点が大きいのを結果的に巧いと考えているのではありません。要素分解と再構成がちゃんと出来ていれば,両者は同じになります。が,食い違う場合もありますから,理想の姿を再構成できるように採点基準は時々改正されます。採点基準は変化しますが,理想型は基本的に変化しないものだと思います。ノルディックジャンプでは,V字飛型に理想型が変化したように見えますが,飛型は要素です。理想型とは「安定して安全に遠くまで飛ぶ」ということでしょう。

フィギュアスケートの理想型
 フィギュアスケートが一番巧いとは,氷上で芸術的に観客を魅了出来る演技が出来ることだと思います。アクロバチックな技が出来るだけでは不足でしょう。それを考えると,採点基準のプログラム構成点でほぼ尽きているように思えます。技術点はプログラム構成点の一要素のスケーティング技術に含めてしまっても良いように思います。
 プログラム構成点は主観的で不正に利用されるという理由で,かつての規程のように廃止できるものではなく,フィギュアスケートの本質的なことだと思います。

■技術点は専門家でなければ判らない
 技術点も主観的と前述しましたが,それだけでなく素人には評価が難しい面もあると思います。要素に分解すればするほど,微妙な違いを判定しなければならなくなるからです。おそらく,総合的な印象も,無意識の部分要素の知覚から成り立っているはずです。しかし要素は意識に登りません。全体的に良いなと感じても,何処がよいのか説明出来ないということは良くあります。しかし,採点者はそこを意識出来なければならないわけです。素人では無理で,目の肥えた専門家が行う必要があります。
 モーグルのタイムも要素ですが,例え専門家といえども,1/100秒の違いを主観的に知覚するのは不可能です。なので,時計を使います。つまり,要素に分けたから客観的になったのではなく,使える機械があるから客観的になっただけです。機械類が使えない場合は,人間が判定するほかなく,主観的でなおかつ難しくなります。時計のような機械は究極の専門家と見なすことが出来ます。
 プログラム構成点も要素から構成されていますが,技術点に比べれば大くくりです。総合的な理想形に近くて,素人の観客でも判りやすいです。そうでなければ,素人の観客を魅了することは出来ません。技術点は専門家の解説を聞いて,成る程ねと思えば十分です。
 

■採点やルールへの疑惑の理由
 ではなぜ,難しいはずの要素評価の技術点のほうが客観的だと思うのでしょうか。一つには前述のように解説者の説明を聞いて勘違いしていることが考えられます。その他に,自国の選手をひいきしているだけという可能性が大きいと思います。何故かというと,自国選手の技術点の評価が低かった場合,技術点に不服を申し立てるからです。韓国や米国の不服がそうです。技術点には「出来映え」による主観的な加減がありますので,そこに恣意性を感じるのでしょう。
 つまり,疑惑の理由は自国選手を高く評価したいというだけで,「主観的」というのは後付の理屈と考えた方が良さそうです。採点基準は全部主観的ですから,それこそ恣意的に一部分に着目して不服を言えます。

■日本人による逆の不満
 フィギュアスケートでは,総合評価に近いプログラム構成点に疑惑を感じ,要素評価の技術点が軽視されているという不満になりますが,逆の不満を抱く競技もあります。
 柔道は,本来一本で勝負を決めていましたが,なかなか時間内に決まらないので,優勢勝ちという判定を行います。これは見た目で大体判りますが,客観性を持たせるために,技あり,有効という要素に分解して積み上げる方式に変化してきました。ところが,そうなると一本勝ちを狙わずに,ポイントを稼ぐ戦法が出てくるわけです。柔道でいえば,外国人選手はこれが得意ですが,日本人は,「そんなものは柔道ではない,一本とってこそ柔道だ」と言います。「アクロバチックな回転数だけを競うのはフィギュアスケートではない。芸術性こそフィギュアスケートだ」という言い方と似ています。

■不満は外野に多い
 不満や疑惑は素人に多いですが,韓国がIOCに調査依頼したように専門家でも見られます。でも選手本人は採点に納得しているようで,これが救いです。
 採点競技を行う選手自身は,共通した理想の姿を持っているように思えます。それは感覚的に分かるものですが,競技である以上,要素分解された採点基準はやむを得ません。それは理想の姿と完全には一致しませんので,ルール改正が行われます。そうすると素人や外野は自国を有利にしたい恣意的な行為であると疑惑を抱きがちです。しかし,そのような外野の印象こそ自国を有利にしたい心情のなせる技である可能性があります。


■おまけ(モーグル陰謀論
 モーグルカービングターンからスライドターンへの変化は,欧米選手を有利にするための陰謀という見解が数多く見られます。しかし,これは根拠に乏しいと思います。なぜなら,バンクーバーオリンピックの頃は,日本人の上村が得意とするカービングターンが高い評価をされていたからです。しかも,上村がカービングターンで他の外国人の追随を許さなかったのは,更にそれ以前であって,バンクーバーの頃には,外国人選手もカービングターンを習得していました。あと2年速くバンクーバーオリンピックが開催されていたなら上村はメダル獲得できたであろうという評論もあったのでした。
 もし,欧米の陰謀だとすると,採点基準の変化の時期がおかしいことになります。さらに,上村自身も言っているように,採点基準の変更に併せて滑りを修正することも出来たのです。しかし,あえてしなかったのであって,それはそれで順位だけを求めるのではない姿勢として評価されているのです。
 スライドターンの減点が少なくなったのは,ハナ・カーニーの影響が大きいと思います。カーニーはソチでこそ不振だったものの,驚異的に安定した成績を残しています。しかも,スライド気味のターンでありながら十分速いのです。スライドターンは接雪時間が長く,破綻の少ない滑りです。速さはタイムで評価されているのですから,減点する理由は特にないのです。
 また,欧米はアルペンの本場です。カービングターンの素養なら日本以上にあるので,バンクーバーの頃には,習得した選手がいました。採点基準の変更がなければ,上村以上の選手が現れていたことも十分考えられます。変更が行われたのは,カーニーがスライドターンを減点する理由がないことを実績で示したからでしょう。かつて,ジャンプのV字飛型は減点でしたが,それにも拘わらず好成績の実績が積み上げられて減点されなくなりました。V字を有利にするために変更されたという陰謀論はありません。