視聴率を稼ぐ方法

 首相が大雪の緊急事態に高級料亭天ぷらを食していたと物議を醸しました。

ポッキー 憲法改悪原発再稼働許さない ‏@pokky0808 · 2月17日
貴方の親御さんや恋人が凍死してもそう言える?“@kikumaco: 首相はそんなにいろんなことの陣頭指揮を取ってはいけないと思う。大災害のさなかにも外交や経済は動いている。それぞれの担当者がそれぞれの指揮を取るべきではないかな”

 首相が陣頭指揮を執れば,凍死する人が減るかというとむしろ逆,というような事は多くの人が言っているのでここでのテーマではありません。親,恋人,子供などをダシに使うやり口は確かに感情に訴えるけど,ウンザリというのがテーマです。

 最近も「原発から子供を守ろう」という看板を見ました。別に被害者は子供に限りませんが,やはり弱い子供を強調しないといけないのですね。ドラマで泣かせるために子供と動物を使うのに似ています。子供や動物は弱者の象徴なので,感情に訴えかけます。「補償金は規程に従い計算すると・・・」という発言が人間味のない冷血な印象を与えるのと好対照で,勝負はあったも同然です。感情の前には論理や理屈は吹っ飛んでしまいます。

 でも,ドラマの場合は常套手段を使いすぎると,さすがに「ズルイ」という反応になります。可哀想な登場人物(動物)も程ほどにしないと食傷気味になります。ドラマでは使いすぎの傾向があり,関係者は注意が必要です。でも,一般社会ではまだまだ通用します。

 私は苦情処理のような仕事で,このフレーズをさんざん聴かされたので,「ズルイ」と思っちゃいます。発言者の意図と逆の意味で感情的になるのです。弱いものいじめに仕立て上げて,問答無で反論を封じる卑怯者め,と怒りを覚えるのです。

 いやいや,感情的になってはいけない。冷静に考えよう。このやり口,いや戦術は恣意的に一つの被害だけを強調して,他の被害や重要なことを無視するものです。他よりも優先度が高いと印象付けるために,子供や動物のような弱者は好都合です。それ以外には,命に関わる問題も有効です。

 感情戦術への反論は,最大多数の最大幸福という為政者の視点になります。他の問題だって誰かの親や恋人,子供に関わっていますし,命にも関わっています。つまり,同じ資源で一人を助けるのか10人を助けるのかという選択の問題です。この場合なら10人を選ぶべきで,お気の毒ですが一人は我慢してもらいますとなります。でも,一人を見殺しにするような罪悪感は否めません。「あなたの親御さんや恋人」というフレーズはそこに訴えかけるのですね。あなたの身近な人が一人の側だったら納得出来るのかと。納得出来ませんけど,仕方ありませんね。そう仕方ない問題なのです。そもそも全員が満足するような解決策が無い状況で最善の策は何かですから,全員を満足させられないのは仕方ありません。ご不満は理解できます。将来的には全員を満足させるように努力すべきでしょうが,現時点では出来ません。だだをこねられても,出来ないものは出来ない。それだけ。

 いやはや,いかにも非人間的,事務的ですね。人間を統計的数字として扱い,顔の見える存在として扱っていません。それはそうですが,為政者の立場とはそう言うものです。苦情処理係も同じようなものです。最初から対等な立場ではありません。苦情を言う方は自分のことしか考えていません。「俺の顔をみろ」と迫ります。しかし,受ける側は,全体を見なければなりません。特定の人だけ優遇すれば,もっと苦情は増えます。予算要求側と予算配分する側の関係にも似ています。要求側は自分の窮状を訴えるだけですが,配分側は,全体をみてバッサバッサと査定しなければ,予算はパンクします。
 
 人間は欲張りだなとつくづく思います。必要性があって要求しているのだから予算は満額付けるのが本来だし,被害の補償は100%されてしかるべきだと思っている人が多いのではないでしょうか。知人で交通事故の被害者がいました。被害と言っても人身事故ではなく,車の被害だけでしたけど。その人に落ち度はなかったので,相手側の保険で補償となったのですが,原状復旧には至らなかったのです。査定に基づき保険金が支払われましたが,元と同じ車は買える金額ではありません。その人は納得出来ないと愚痴をこぼしていました。

 生命保険を考えれば当たり前ですが,保険でも補償でも,被害を多少埋め合わせるだけで,完全に元通りには出来ません。完全に元通りに出来るなら,別に事故や被害を恐れる必要も注意する必要もありません。安心して交通事故を起こせる社会というものは非現実的なだけでなく望ましいとも思えません。でも,焼け太りなんて言葉があるくらいですから,うまい話を期待するのでしょう。

 感情戦術が訴えるもう一つの感情があります。困っている人がいるのに,普通の生活や贅沢をしていて良いのかという罪悪感です。感覚的に優先度の高そうな行動でもって,他の要求を抑制するという点で前述したものと同じような働きをします。これは結構強力で,東日本大震災でも自粛ムードになりました。でも,これって気持ちの問題だけで,実際的には何の助けにもならないばかりか,足を引っ張ることにもなりかねません。
 
 大雪で困っている人を助けるために,他の活動を一切やめて救出に全国民が向かったらどうなるかは考えるまでもありません。日本の経済活動は停止し,莫大な被害者を生み出します。高級料亭での食事だって,何人かの生活に結び付いています。世の中の活動はおおよそ意味があります。一方で,世界には餓えに苦しむ人々が大勢いますが,だからといって,食事を制限しても自分の気休めですね。

 子供や動物が判りやすい弱者の象徴なら,高級天ぷらも判りやすい強者の象徴です。イメージだけで中身がありませんが,世論はそれに左右されるもの。オリンピック招致プレゼンテーションも選挙も。