実業,エンターティメント,虚業

 今更ですが,「奇跡のりんご」に付いてです。

 映画の評価が概ね,感動的と好評でしたが,一部,独善的で身勝手な男が家族を不幸にしていて不快というのがありました。

主人公の無意味な拘りが家族を追い込む
http://info.movies.yahoo.co.jp/userreview/tyem/id344360/rid236/p5/s0/c42/
主人公が鬼畜すぎて感動できず
http://info.movies.yahoo.co.jp/userreview/tyem/id344360/rid197/p9/s0/c81/
結果オーライ
http://info.movies.yahoo.co.jp/userreview/tyem/id344360/rid100/p18/s0/c178/

 独善的な理想を追い求める主人公が,周囲を不幸に巻き込むという話は小説や映画のテーマとしてしばしば見かけます。奇跡のりんごの木村氏の場合は,そもそも農薬に弱い奥さんの体調を慮って無農薬栽培に挑戦したのですが,いつの間にか初心を忘れ,りんごのためには,家族を極貧に貶めることも厭わないまでに変化してしまったわけです。その当たりを描けばなかなか面白い映画になったのかも知れません。

 しかし,実際の映画はハッピーエンドの家族への愛情物語というテーマとしてはありふれたもののようです。ご存命中なので難しいでしょうが,「芸のためなら女房もなかす」の桂春団治風の物語の方がぴったりするような気がします。

 しかも,桂春団治と木村氏には共通点が有ります。落語はエンターティメントであり,農業は実業だと言う違いがあるのですが,木村氏の農業は実業と言うよりもエンターティメントに近いです。奇跡のりんごの生産量は極めて少なく,市場に流通していません。私も食べたことが有りません。ほとんどフィクションのりんごなのです。さらに,最近の木村氏はりんご生産よりも,講演,出版,映画などにと力を入れています。現実の農業ではなくて,講演で語られるフィクションとしての農業に聴衆はお金を払っているのならば立派なエンターティメントです。

 講演で語られているのは落語のようなフィクションではないと言う人もいるかも知れませんが,それは有り得ません。全く生産量などの実績のデータのない技術を,実業として指導するのは,架空の儲け話に投資させる詐欺と同じ虚業であると批判されても仕方有りません。法的な責任まで問うことは難しいにしても,倫理的に大いに問題ありです。木村氏の名誉の為にも,木村農法はフィクションだと申し上げておきます。

 しかし,フィクション農法の講演を聴いたり,指導を受ける人の気が知れないと思う人も多いかもしれません。落語は聞いているときに面白ければそれで満足出来ますが,農業は実際に栽培を行い収益を上げなければ満足出来ないのではないかと。最初は良くても,いずれ苦情が増え,そんな講演など聞く人はいなくなるのではないかと。

 そう考えるのは,人間の遊び心を理解していないからです。余裕があれば,人間は実に様々な分けの判らない遊びをします。豊かな現代では,収益など上げなくてもよい趣味の園芸ならぬ趣味の農業が流行っています。裕福で余裕のある芸能人などが,田舎に引っ込み前時代的な「有機農業」とか「自然農法」にいそしんでいます。TV番組でも「一人農業」なんてのがあります。これらに共通するのは機械化や農薬の助けを借りた現代の農業ではないことです。従って収益は上がりませんので,裕福な芸能人やTV局のスポンサーが支援してくれないとなかなか難しい面があります。

 裕福な人や,スポンサーのいる人は限られますが,小規模の個人の趣味程度ならもっと多くの人でも可能です。多くの人がその気になれば,その人達を相手にする商売は十分成り立ちます。問題はそういう趣味をやりたいという気にさせるかですが,その点で芸能人やTV番組が効果を発します。そのような情報に接していると,自分もやって見たいと思う人が結構出てきます。

 その種の趣味の農業者が聴講者なら,収益が上がらなくても苦情は言いません。趣味農業の講演指導であると銘打っているのなら,問題も有りません。スキー検定や漢字検定を受けてプロを目指そうと勘違いしている人はいません。自分の満足のためしているだけです。私もSAJ2級を持っていますが,こんなもの何の役にも立たないとSAIに苦情を言ったりしません。

 木村氏は,この時代の空気を見事に読み,エンターティナ−として成功したのではないかな。
(この文章には,大きな欠陥があります。それは,宝くじがエンターティメントであるということと同じ欠陥です)