捕鯨の正当性を国際世論に訴えられるか

 反捕鯨は,全くの情緒的反応でなんら正当性がないと思います。ネット上では人種差別,文化差別であるという極論も見られますが,あながち極論でもないのではと。優劣や是非を付けられない文化について,自分たちの文化以外は劣った文化であるとみなし,「野蛮なことは止めなさい」と押しつけているわけですから。

 しかし,捕鯨や鯨食が,そのようなお節介から守るべき重要な文化であるのかも疑問です。個人的には,鯨食は肉の代用品であり,決して好んで食べたいと思う代物ではありませんでした。私以外の消費者にとっても,マグロなどとは相当違う位置付けであると思います。少なくとも,鯨が食べられなっても日本人の食生活に大きな影響を与えるとは思えません。イルカにいたっては食べたことの有る人はわずかでしょう。

 消費者に対する影響はその程度だと思いますが,生産者への影響はどの程度でしょうか。そもそも,捕鯨産業というのは今でも存在しているのでしょうか。存在しているとしても,捕鯨禁止によって,これらの従事者が路頭に迷うというような重大な影響があるのでしょうか。他の魚介類への転換,あるいは漁業以外への転職支援は不可能なのでしょうか。どうもその当たりが良く分かりませんでした。

 捕鯨擁護の言説は,「伝統文化の保存」というような雰囲気が感じられます。もちろん伝統文化は重要ですが,近代化や国際化によって消え去った伝統文化はごまんとあります。保存されていても,現代生活に密着したものではなくて,博物館的に小規模に保護されているというものが大半です。捕鯨擁護の言説はそのような保護の理由にしかなっていないと感じます。日本経済や日本人の生活に大きな影響を与える,あるいは漁業に甚大な影響があるということを納得させてくれるようなものは見かけません。

 と思っていたところ,4年前の次の記事に目がとまりました。
「日本の捕鯨が海外から非難をされる仕組み」
http://katukawa.com/?p=3691

 先ず,捕鯨に対抗出来る広報活動を世界的に展開できる見込みがあるか判断しなければならないと述べています。もし見込みがないなら,少しでも被害がすくなくなるような敗戦処理をすべきであると,現実的,実利的視点から論じています。食文化云々のような観念的な擁護論とは一戦を画しています。捕鯨に無関心な一般人(中立国)に如何にアピールするかが鍵だと言うわけです。

 国際世論に訴えるとすれば,貧困,紛争,人種差別,性差別などは,説得力が有ります。イヌイットの食文化が危機に瀕しているというのもインパクトがあります。これらは,人の生活や命に直接関係するからです。しかし,日本の食文化が危機に瀕している等と言っても,裕福な日本人がなに言ってるのと思われるだけでしょう。確かに捕鯨対象の鯨が絶滅の危機に有るわけでもないし,反捕鯨は欧米の押しつけですが,そのような話を聞いてもらえる可能性は少ないと思います。日本人の贅沢な食の嗜好を満足させる為に,協力する必要など感じないでしょう。闘牛も立派な文化ですが,スペインでも禁止の方向です。欧米以外の国は,もっと深刻な問題で手一杯ですし,食文化と言っても生死に関わるような話ではなく,嗜好の問題で,娯楽の闘牛とさして変わらないとしか理解されないのではないでしょうか。

 即断は出来ませんが,「広報活動を世界的に展開できる」見込みは少ないように思います。ならば,できるだけ損害の少ない敗戦処理を考えた方が得策だというものでしょう。