サイドバイザーが99万円の車

今回は公共工事発注の話題である。長文なのでご注意。

1. 買う車を決めるあり得ない方法
 欲しい車は決まっているけど,どんなオプションを付けたらよいか判らない。
そこで,2つのディーラーにお勧めのオプションを提案してもらい,良い方に決めたい。
できるだけ客観的に判断したいので,評価基準を決めた。
車両本体の評価を100点とし,それに提案されたオプションの評価点X点を加算し,総合点を(100+X)点とする。その総合点を見積価格P円で割った値【(100+X)/P】つまり1円当たりの評価値が最も大きいディーラーに決める。
 オプションの評価Xについては,各ディーラーの提案に順番を付け,1位50点,2位25点,提案(オプション)なし0点とする。
 Aディーラーはサイドバイザーを提案し1位となり,299万円の見積もり,Bディーラーはオプションなし,車両本体のみで見積額は200万円であった。

A社は 150/299=0.503
B社は 100/200=0.500

よって,A社に決定。

 要は,サイドバイザーを99万円以上と評価したというだけの馬鹿げた話だ。しかし,現実でも,国や地方公共団体の総合評価落札方式と呼ばれる建設工事の入札では,同じことが行われている。


2. 総合評価落札方式とは
総合評価落札方式とは,公共建設工事関係の方ならご存じの平成1014年頃から行われている入札方式である。従前は,価格のみの入札で落札者を決めていた。工事目的物の性能・品質や施工方法等は一定のものを求めていたので、価格の一番安いところを選べばよかった。それに対して,総合評価落札方式では,性能・品質を向上させた提案を応札者が行い,その性能・品質と価格を総合的に評価して落札者を決める。

 総合評価落札方式そのものは良い方法であるが,残念なことに誤った運用がされている。ひとつは,冒頭の車購入のような相対評価であり,もう一つは,「評価基準の非公表」である。
 国交省は総合評価方式のガイドライン定めており,最新版では評価基準は公表すべしと一応述べられている。しかし,応札者が自分で評価可能な所まで公表しなければ意味が無い。また,「相対評価」については,総合評価落札方式を普及させる原動力として推奨までされている。 

3. 日常の買い物と同じ
総合評価落札方式は,日常的な買い物に近い常識的な調達方法である。日常の生活では,買いたいものが予め決まっていて,価格比較のみで決める方がむしろ希である。大抵は,商品の魅力と価格の両方を同時に比較しながら決めていく。例えば,車を買う場合には,デザイン,燃費,居住性等の「性能」と「価格」を比較して決める。「高いけれどもデザインが気に入った」,「安いけれども,内装が安っぽい」,「燃費が良く,耐久性もあるから,長い目で見れば得」などと,様々な要因を総合的に判断する。総合評価は価格のみの入札よりも確かに複雑ではあるが,その程度のことは日常的に行っている。

 買い物では,購入する商品の価格評価を必ず行う。売り手の提示する価格がそれより低かったら売買成立である。複数の候補がある場合には,(評価額)/(価格)あるいは(評価額)ー(価格)が大きい方を選択する。最低,前者は1以上,後者は0以上でなければ売買は成立しない。前者の計算による方法は,1円当たりの価値(コスパ)を評価するもので,「除算方式」と呼ばれる。後者の方法は得た受益から,支払った支出を差し引いた純受益を評価するもので,「加算方式」と言う。総合評価落札方式の本質はこれだけのことであり,理解すべきことはそれで十分である。

 評価額は買い手の考え方次第であるが,公共工事なので誰もが納得する出来るだけ客観的なもので無ければならない。同じ価値のものは,同じ評価額である必要があり,違う価値のものが同じ評価額になってはいけない。このような当たり前のことをわざわざ述べるのはなぜかと訝しがる人もいかもしれないが,当たり前のことが行われていないから述べているのである。

 なお,評価額はコストではない。公共工事や公共料金では値段をコストから算出するため,価値の評価をする習慣がなかった。コストに適正な利益を載せたものを単純に価格とし,それ以上の価値はあるはずだという暗黙の前提があっただけである。この前提は必ずしも成り立つとは限らない。例えば,燃料電池車のコストは現時点では数千万円になるが,それをそのまま価格にすれば買う人はいない。それだけの価値が認められないからである。金箔張りの建物のコストは高額になるが,公共の建物にそんな贅沢は不要で,そのコストを支払う価値はない。 今までは,発注者が贅沢を廃した妥当な設計を行って発注していたので,問題はなかった。しかし,総合評価落札方式では応札者の提案が発注者にとって如何ほどの価値があるのか評価しなければならない。

4. 相対評価
 実際の総合評価では評価額を金額ではなくて,点数に置き換えるという作業を行う。発注者は標準案というものを示し,それには予定価格まで支払う価値があると考えている。この予定価格を100点とするのだ。応札者は標準案に付加価値を付ける提案を行い,それが予定価格の10%の価値があると評価されれば,10点の加算点をもらえる。100点に加算点を加えた総合点を入札額で除した評価値が最大のものが落札する。これは絶対評価であり,前述の「除算方式」の説明と同じことを回りくどくしただけである。
 一方,相対評価では,相対的な優劣だけ評価するもので,順位方式や配分方式などがある。順位方式では,順位だけ付ける。順位に応じて,1位には満点,最下位には0点,中間順位には均等に按分して点数を与える。満点の数値には何の根拠もない。
 配分方式では,均等按分ではなく,定量的な指標に応じて点数を配分する。例えば,工期短縮日数の一番多いところには満点を与え,それ以下は短縮日数に比例した点数を与える。単純な比例ではなく,複雑な関係式を用いる場合もある。
 いずれの方式でも,1位には満点が与えられる。例え工期短縮が1日でも100日でもだ。 問題点はご理解頂けたと思うが,なぜこのような方式が採用されているのかその経緯を以下解説する。 

5. 点数化の弊害
 前述のように,商品の貨幣価値評価ができなければ買い物はできない。個人的な買い物では,その評価を日常茶飯事に行っているが,公共工事の提案の評価となると責任が大きくておいそれとは決断できない。現実の価格評価は難しいのだ。それでも,総合評価導入初期には,ちゃんと価格評価を行っていたが,評価は難しく,普及は進まなかった。
 そこで,考えられたのが,「順位方式」と呼ばれる相対評価である。順位付けなら容易に出来るだろうという発想である。(国交省総合政策研究所が考えた出した)
だが,相対的な順位だけでは,点数(価格評価)は定まらない。そこで,1位は10点,2位は8点などのように特に根拠なく定めるのが「順位方式」である。点数をアプリオリに決めてしまうので,「相対評価」ではなく「天下り絶対評価」と呼ぶ方が妥当かもしれない。評価が難しいので,適当に決めてしまったという実に乱暴な話である。 順位に応じた点数は予めマニュアルに定めてあるので,評価担当者の心理的負担が少ない。点数を評価担当者が設定する場合もあるが,抽象的点数なので,深く考えなければ金額を意識しないですむ。
 とはいえ,サイドバイザーの価格が車両本体価格の5割となると,誰しも過剰評価と気づく。同様に,提案が工事予定価格の1割の価値があるかと聞かれたら悩むだろう。ところが,全く同じことであるにもかかわらず,10点の点数だと悩むことなく与えてしまう。ここまで,読まれた方は,10点が10%の意味であることは明白ではないかとお考えかもしれないが,それがそうでもないのである。少し考えれば分かることを考えないのが人間の常である。

そこで,意識して少し考えてみると,同じ1位でもその価値は,個別の例によって様々である。にもかかわらず,相対評価の順位に応じて点数は固定されている。ほとんど価値のない提案でも,大きな価値がある提案でも,1位であれば一律に例えば10点としてしまう。どのような提案が出てくるか判らない時点で,既に1位には10点与えると決まっているのだ。文学賞だって,凡作ばかりなら受賞作品なしということがあるが,相対評価では必ず受賞作が出る。


6. Aが良いのか,Bが良いのか?
 次のような問題もある。A社,B社,X社の比較では,B社が落札する。ここで,X社の替わりにY社が参加し,A社とB社の提案性能と入札額はX社参加の場合と変わらないとする。後者の場合落札者がA社に変わることがあり得るか?

 相対評価ではあり得るのである。性能の相対評価が,A>Y>B>Xで,1位から3位の点数が10点,5点,0点だとすると,A,B,Xの競争ではAとBの点数は10点と5点で,差は5点であるが,A,B,Yの競争では,10点と0点になり,差は10点に広がる。このため,入札額との兼ね合いで,落札者がBからAに変わることはありうる。競争相手次第で絶対評価値が変わるためである。二つのケースでのAとBの提案内容と入札額は変化していないが,xとYのどちらが参加するかで,落札者が変わってしまうのだ。このような評価法が妥当ではないのは明白だろう。

7. 1億7千万円が1億円を逆転できる提案とは
 当初の総合評価落札方式では,加算点はせいぜい10点までであった。最初は,提案を真面目に価格評価しており,それだと予定価格の1割程度のメリットのある提案ですら難しいからだ。常識的に考えてみても,工事規模の1割を超える提案が,そうそうあるはずがない。一方,入札額の1割2割程度の差は普通であるので,価格を逆転することは希であった。

 実は国交省は総合評価落札方式を低入札対策と考えていた。そのためには価格を逆転しなければ意味がない。そこで,加算点を次第に大きくしていった。過去の実績において提案が過小評価されていると分析したわけではなく,価格を逆転させるためである。もっとも,過去の実績の分析が行われていても,今後の提出される提案がどのようなものか判るはずもなく,無関係なのであるが。相対評価の最高点は,急速に上昇し,現在では70点でも可能である。

 70点となると,1億7千万の札の業者が1億円の札に勝つことも可能である。革命的な技術革新がなされないとも限らないので,絶対評価ならば70点と言わず評価の上限も不要だ。つまらない提案ならそれなりに評価すればよい。しかし,相対評価では,高度な提案の必要はない。ありふれたつまらない提案でも構わない。ドングリの背比べでも,1位になれば,70点を獲得できる。内容的に差がほとんど無くても,7千万円の価格差を逆転できるのである。

8. 絶対評価可能な案件にも悪影響
 99万円のサイドバイザーは杞憂に終わらず,現実に発生し,批判も受けている。2007年の中国地整のトンネル工事では,工事汚水の浮遊物質量SS値を少なくする提案に対して15点の枠を設定した。もっともSS値が少ない提案には満点の15点が与えられる。その他の業者にはss値に反比例した点数が与えられた。前述の分配方式である。1位と最低価格の業者のSS値は1mg/lと2mg/lで1mg/lの差であるが,加算点は満点の15点と7.4点であり,14億7千万円の社が,最低額の14億1.5千万円を逆転した。1mg/lの差を5500万円と評価したことになるが,問題はそこにとどまらない。相対評価では,0.1mg/lの差でも,0.01でも同じ話になることだ。
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/_shared09/pdf/ncr/news01.pdf

 ちなみに,提案されたSS値は,放流先の河川のSS値よりも小さく,コストをかけてそこまできれいにしても無意味であることも批判されている。SS値の絶対値に応じて評価点を定め,無意味に小さいSS値の加算点は頭打ちにすればこのような事態は生じない。絶対値とは無関係に最も少ない提案には1位の満点を与えるという相対評価が招いた馬鹿げた事態である。

 本来,この種の定量的評価が容易な性能は絶対評価に向いている。しかし,1位には満点を与えるという相対評価を採用して,5千万円を無駄にした。ドングリのせいくらべでも1位ならば満点をもらえ,高価格でも落札可能となるのである。

9. 逆にダンピングを助長している?
 実際には予定価格を超えれば失格になるので,価格差逆転にも制限がかかる。予定価格1億円,加算点70点では,7千万円ではなく,1億円×70/170=4100万円ほどになる。それでも,大変な額であるし,「相対評価」の考え方が間違っていることに変わりはない。

 さらに,標準案より高性能の提案を求めていながら,標準案見合いの予定価格を上限とすることは,ダンピングを強要する歩切りとも解釈できる。コストを掛ければ,性能を上げて高評価を得られる提案をすることは可能である。そしてそのコストをダンピングしても,現在の制度では許容される。総合評価落札方式はダンピング対策ととらえられているが,皮肉なことにダンピング助長の面もある。通常のダンピングは,性能を変えずに,コスト以下に価格を下げることだが,総合評価落札方式では、コストを掛けて性能を向上させながら,価格を変えないことである。いずれも,コスト以下の価格にするということでは同じである。

 私は,総合評価導入当初から,歩切りではないかと指摘していたが,今では建設業界において「技術ダンピングと呼ばれて広く認識されているようだ。通常のダンピングは応札者が行うものであるが,技術ダンピングは発注者の歩切りであると建設業者は感じている。

 他者に真似できないような独創的な提案の場合は,このような「技術ダンピング」をする必要はない。しかし,現実の建設技術のほとんどは,例えば工期短縮のように,だれでもコストさえ掛ければ高評価を得られる提案が可能なのである。従って,技術ダンピングの可能性は大きいといえる。新技術や新工法の開発が盛んに行われている技術的に高度な分野では総合評価は良い方法である。一方,コストを掛ければ誰でも性能を上げることができる分野では,技術ダンピングを誘発するだけの結果になりやすい。そして,中小規模の建設工事の大半はそうである。

10. ニーズを示さずに提案を求める
次に,2番目の「評価基準の非公表」とは提案をどのように評価するかを示さないことである。例えば,工期1日短縮が,何円の価値に相当するかを示さないというようなことだ。受け手にしてみれば,コストを掛ければ工期を大きく短縮出来るけれども,コスト以下にしか評価されなければ,そのような提案はしない方がよい。コスト以上に評価されるなら提案すべきだ。しかし,評価基準が分からなければ,その判断が出来ない。ただし,前述の「技術ダンピング」を行うのであれば,評価基準は不要である。逆に言えば,評価基準を示さないのは「技術ダンピング」を誘発しかねない。
 「技術ダンピング」の可能性に対しては,「コストを要せずに性能を上げる提案を求めているのだ」という反論がある。確かに,それが可能ならば,技術ダンピングは起こらない。しかし,現実には,コストアップなしに性能を上げる画期的な方法などそうそうあるものではない。工期短縮の一般的な方法は,機械や人員投入,残業などコストを要するのである。

  一般的に,性能とコストはトレードオフの関係にある。性能を上げれば,コストも増えるので,性能増から得られるメリットとコストの兼ね合いで最適な解が定まる。ひたすら,性能を上げれば良いというものではない。価格のみの競争では単に安い方が有利であるが,総合評価はそれほど単純ではない。発注者がどのようなものを求め,どのように評価するは発注者しか判らないのだから,示す必要がある。料理の注文にも「おまかせ」という場合もあるが,普通は客が好みを伝えなければ料理人はどんな料理をつくって良いか判らない。さもなければ,ベジタリアンのお客に肉料理を出すかもしれない。

 ただ,工期短縮のような定量評価が容易な場合は評価基準は示されることが多い。それとは性質の異なる「施工能力審査」と呼ばれる課題の場合に,性能の評価基準を公表しないことが多い。公表しない理由として,「試験問題の解答を教えることになる」と言われることがある。しかし,評価基準と解答は全く異なるものである。評価基準とは,「排水中のSS値の低減量○○毎に加算点△点を与える。」と言うようなものだ。これを見れば,大きな低減量の提案は評価が高いことは分かるが,できもしない低減量を提案することはできない。判定基準がそのまま解答になるようなものは提案ではない。本来の提案とは作文能力ではなくて,実現能力を求めているのである。

 標準案とはどの業者でも実施可能な水準である。提案で求めているのは,それよりも高い水準であり,それは,その提案者しかできないものでも良い。というより,そうでなければ競争力がないわけである。解答を知れば,誰でもできるようなものなら,最初から,それを標準案とすべきである。

 結局,本来の評価基準なら公開しても答えを教えることにはならないのであるが,実態は解答と言ってもよい評価基準が多くあり,そこに病根がある。提案を求めているのではなく,応札者の能力評価という場合が殆どなのである。この場合は,試験問題のような課題となっていて,評価基準が解答そのものとなっている。そのため,評価基準が公表できないのだ。「発注者はどのような提案に高い点を付けようと考えているのか?」という奇妙な試験問題である。言い換えれば「評価基準を当てる問題」であるので,評価基準を公表すれば,解答を教えたことになるのである。


11. 評価基準を公表しない事情,提案評価と能力審査(試験)

11.1 国交省の認識
 自分では考えつかない提案を,自分より能力のある応札者に求めるのが,本来の総合評価落札方式である。あるいは,誰にでもできるとは限らないないため,標準案には設定できない水準の性能を求める場合もある。しかし実態は応札者の施工能力の審査という場合が多い。高度な工事では本来の意味での提案を求めることもあるが,簡易型と呼ばれる方式は,ほとんど施工能力の審査である。
 発注者の技術力が高かった時代には,発注者の標準案が最良の設計であり,受注者からそれ以上の水準の提案を受ける必要もなく,発注者は,技術力の低い受注者を指導・教育をしていた。現在では,技術力は逆転しており,発注者はとりあえず,標準案という仮の設計で発注し,改善(性能向上)提案を求めることになった。これが,総合評価落札方式の「公式の」導入理由である。

 一方,国交省内部では,総合評価落札方式は,低入札対策(ダンピング防止)として認識されていた。技術力が無く,安値だけで勝負する不良業者を排除する必要性を強く感じていた。そのためか,総合評価においても,提案を求めるのではなく,能力を審査するという認識が強かったのである。中小規模工事では高度な技術提案がそうそうあるはずもなく,能力評価にならざるを得ないという現実もあった。これは裏の本音の理由とでも言うべきであるが,国交省にはそのような認識すらなく,ダンピング対策を公言していた。

 なお,総合評価落札方式は国交省の内規で入札時VE(バリューエンジニアリング)に位置づけられている。VEとは改善提案を求める手法であって,施工能力審査がVEでないのは明らかである。

11.2 逆の措置
 総合評価では加算点が与えられることからも分かるように,発注者の標準案より優れた性能を評価し,加点するものである。しかし,ダンピングや施工能力不足を審査するのであれば,減点を行うべきであり,基準点に達しないならば失格というのが筋である。

 しかし,失格という厳しい措置は,返り討ちの危険もあり,おいそれとは出来ない。実際,低入札調査を行って技術的理由で失格とした事例はほとんどない。時期や期間的に提出困難な資料の提出を求め,提出されなかったことを以て失格とする手続き的理由がほとんどであった。そこで,不良業者,あるいは低価格応札業者を減点する代わりに,それ以外の業者に加算点を与えれば結果的に同じだということで,総合評価を活用すべしとなった。国交省内部では,価格差を逆転できなければ無意味であるとしきりに強調され,提案の評価がその性能に見合ったものであるかどうかはあまり考慮されなかった。総合評価は極めて歪んだ仕組みとなってしまった。

 国交省の意図は,純粋にダンピングを排除したかったのであろうが,このような制度本来の目的と異なった目的のために用いれば,様々な弊害を引き起こす。前述の中国地整の例では,ほとんど意味の無い提案に5千万円を支払ったが,5千万安い業者がダンピングしているわけでもないのである。マニュアルは,プラスアルファの提案を評価するように作られており,現場の担当者はマニュアル通りの運用をするものである。真の目的(ダンピング防止)の為には,高度な判断をする必要があるが,これは恣意的な運用と紙一重である。現場の担当者は恣意的と批判されるような危険は犯したがらない。その結果,ダンピング防止にもならず,単なる無駄遣いになるのである。

11.3 ダンピング防止効果があるとは限らない
 技術ダンピングの問題もあるように,総合評価落札方式にはダンピング防止効果があるとは限らない。それは,少し考えて見れば判る。評価基準が公表されていても,提案で対抗出来そうにもない技術力のない社は益々価格競争で頑張ろうとするかもしれない。さらに評価基準が公表されていなければ,技術力のある社でも自分の提案がどの程度評価されるか確信が持てず,確実な価格競争の方を選ぶだろう。発注者は,高価格の社が提案で評価され,低価格の社を逆転することを都合良く期待していたが,その保証は一切ない。低価格の社が良い提案をするかもしれない。
 実際に,一時期むしろ価格競争の激化を招いた。そこで,加算点の大幅水増しが行われた。評価基準不明で,大きな加算点をもらえるとなると,確かに価格競争は抑制される。ただし,その理由は,価格競争しても殆ど効果がないからだ。だからといって提案で頑張ると言うわけでもない。評価基準が判らないので,提案で頑張りようがないのだ。落札者は,提案がたまたま運良く高評価されることだけで決まってしまう。サイコロを降って決めるようなもので,価格や提案の内容で頑張っても仕方ない。発注者のサイコロにどんな癖があるかを探ることが,応札者の最大の関心事,課題となったのだが,それについては後述する。

12. 提案評価と能力評価の違い

12.1 提案の評価基準
 提案の評価基準は応札者に示さなければならないことは述べた。最適の提案を決定するために必要だからだ。例えば工期短縮にはコストが必要で,入札額が高くなる。短縮による評価点の増加よりも,入札額の増加の影響が大きければ,総合評価の評価値は下がってしまう。最適の工期を求めるには,評価基準が必要である。また,これを公表することには何の問題も無い。

 また,提案は,例えば工期短縮日数という結果のみ示せば良く,実現するための方法まで示す必要は,本来ない。実現可能性の審査を提案を求める側が行うことは無理な場合が多いからだ。発注者としては結果の保証をしてもらえばよく,提案を実現できなかった場合は,ペナルティで対応することになる。実際には,方法が示されることが多いが,信頼性がありそうだという感覚的な心証を発注者に与えるためのプレゼンテーション上の意味ぐらいしかない。国交省の内規でも提案を審査したことによって,責任を国交省が負うわけではなく,あくまで受注者の責任である。つまり,本来の意味の責任を伴う審査ではないのである。

12.2 施工能力の審査基準
 施工能力の審査は更に2つに分かれる。1つは,人員・組織体制や保有する設備・機械などの資料を提出させ,評価するもので,もう一つは,妥当な施工計画であるかを評価する試験のようなものである。

 前者の場合,資料を正直に提出すれば良く,評価基準を示す必要は特にない。しかし,恣意的な評価を行っていないことを証明するためにも,公表した方が望ましいし,公表して支障が有るわけでもない。

 後者の施工計画評価試験には大きな問題がある。本来ならば,誰が評価しても同じになる客観的評価でなければならない。見解の相違があるような場合は,客観的な試験にならない。客観な試験は,持ち帰って調べたり,人に聞けば正解は分かるのである。それが出来ない様に試験というものは,一般に試験会場で隔離して行う。しかし,試験会場での試験など入札手続きで出来るはずがない。持ち帰ってレポート提出という形式にならざるを得ないが,そうすると調べれば分かるような客観的問題では意味がないことになる。

 このような事情から,現実の試験問題タイプの課題は,発注者の恣意的(主観的)評価を当てさせるような奇妙なものになっている。例えば,「安全対策に付いて方策を5つ記載せよ」という課題の評価基準は,想定される種々の方策毎に点数を配分したものになっている。従って,正解は,点数の高いもの5つを全部当てることだ。この5つは,発注者の主観である。

 この評価基準は本来の提案の評価基準と質的に異なり,知ってしまえばそのまま書けばよい回答そのものである。当然,公表は出来ないことになる。
 このような試験で評価しているのは,施工能力ではなく,発注者の主観を推測する能力である。

13. 応札者の対応
 応札者にとって,受注は死活問題であるから,このような奇妙な試験問題にも対応しなければならない。大手の業者は,総合評価対応の為,「提案力の強化」を謳い,過去の事例などを分析し,発注者の主観的性向を推測するために,投資を行っている。いわば,顧客の嗜好を調べるマーケティングである。また,「総合評価落札方式対応セミナー」なるものが開催され受験指南が行われている。専門の組織を作った社もある。この費用は発注者が公表すれば不要であるし,意味の無い試験問題のための無駄と言わざるを得ない。当然その費用は,回り回って工事価格に反映されることになる。
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/const/news/20071031/512929/

 実は統計的分析よりも直接的な方法がある。発注者の性向を分かっている発注機関OBの人材を雇うことである。ただし,試験回答を教えることになるから公表しないというのであれば,そのような人材を提供することも拒否しなければ首尾一貫しないはずである。