実証と論理

ublftboさんの「ホメオパシー化学物質過敏症」と内容がかなりダブりますが、私なりにまとめてみました。 
http://d.hatena.ne.jp/ublftbo/20130727/p2

経緯と要旨
 現実の事柄を扱う実証科学では、厳密な証明は無理だけど、実用的には蓋然性、つまり殆ど間違いないと示せばそれで十分なのだと思います。無理なのは、非存在の証明だけでなく、存在の証明も同じでしょう。実例を一つ示せば存在証明は可能に思えますが、観測ミス、幻覚などの可能性を考えだしたら、厳密とは言えません。そんなこと考えても実用的意味はありませんが。
 ところが、数学のように論理的証明が可能だと考えるYさんという人がいて、Cという説を否定するNさんにそれを求めました。「いや無理でしょ。例えば、こんな馬鹿げたH説だって厳密には否定できないよ。殆どありえないという説明で十分でしょ」というと、「そのH説は、論理的に否定できているのだ。C説はそれが出来ていない」と。では、「その事例は本当に証明できているのかねえ」と尋ねると、「そんなH説の話はしていない。話を逸らすな」と。
 この様に、他のものに例えて分かりやすく説明しようとすると、「それとこれは違う」という反応によく出くわします。H説とは別に、Nさんは、C説が殆どありえないという蓋然性の説明もしようとします。それには、C説の分野の専門的知識が必要になってきますがやむを得ません。すると、「そんな専門知識は無い。C説の内容にも興味はない。C説が形式的、論理的に否定できていないと言っているのだ」と拒絶。
 Yさんは、「H説の根幹的な思想そのものが反証されている」と言い、それが専門的知識がなくても可能な「論理的否定」だと思い込んでいるようです。確かに、科学の原理は非常に強力で、原理から論理的にいろんなことが予測できます。しかし、原理そのものは実証的に確認されたほぼ間違いないというものに過ぎませんね。 原理があまりに常識になってしまっているために、それが実証的に確認されたものであって、決して論理的に証明されたものではないことを忘れてしまうのだと思います。

実証的な方法では,厳密な否定は出来ない
化学物質過敏症の証明に係るNATROMさんとyunishioさんのやりとりで、次の発言がありました。

yunishio ?@yunishio 7月27日
「有効なレメディを特定できていない」のであれば、それならホメオパシーの根幹的な思想そのものが反証されているんですよ。ホメオパシーは詳しくないけど、病気の原因物質と同じものを希釈して与える、というものでしょう。あなたがそれを同一視するのは非常におかしな話です。@NATROM


 yunishioさんが,超微量の物質が原因であることは否定出来ないという理由は,総ての物質について確かめられていないからと言うものです。「原因であると証明できていない」と「原因であると否定された」は異なり,いわゆる悪魔の証明をしない限り,原因であることの否定は出来ないというものです。
 厳密にはその通りですが,現実の現象について厳密なことが言える事はなく,どちらがより蓋然性が高いかという判断しかあり得ないことを理解されていないようです。NATROMさんがホメオパシーの話をするのは,yunishioさんの理屈によると,ホメオパシーも否定出来なくなり,その理屈は駄目ですよと言うためであることは,普通の人には説明するまでもないことです。

根幹の思想を反証しても,現実の効果は否定できない
 これに対して,yunishioさんは,ホメオパシーが否定されるのは,実証試験の結果ではなく,根幹的な思想が反証されているためだ,と仰います。ホメオパシーの思想は科学の根本的な原理に反するのであり,実証試験するまでもなく否定できるという事かと思います。有効成分が1分子も存在しないものが効くなどという荒唐無稽なことがあるはずがないではないかというかと思います。
 しかし,根幹的な思想が反証されていても,効くことは十分有り得ます。根幹的な思想と無関係な理由で効くかも知れないからです。例えば,鍼灸の経絡という思想は間違っている可能性が高いのですが,効くかもしれません。伝統的な治療法にはそもそも思想すらない経験的なものもありますが,それでも効くものは効くのです。さらに,ホメオパシーレメディがホメオパスが説明するものと違う,つまり有効成分を含んでいることもありえ,実際含んでいるものの沢山存在します。
 
根幹的な思想の反証も実証に基づく
 さらに,根幹的な思想の反証に用いる科学の原理は,実証に基づくものなのです。物質が存在しなければ薬効はないという原理は,実験で確かめられています。世の中には二元論すなわち霊の存在を信じる人もいて,念で物質に効果を及ぼす超能力の存在を主張する人もいます。しかし,実験をしてみるとその存在は確認できません。そしてこの確認も厳密なものではなく,悪魔の証明をしない限り,存在の可能性は残ります。ただし,その蓋然性は極めて小さく,それが実際上は重要です。

数学では非存在の証明が可能であるが,現実に適用できるかどうかは実証するしかない
 数学では,非存在の証明が可能ですが,前提がいくつかあります。先ず,単純にモデル化した体系(世界)の中の証明であること。その体系を構築するに当たって公理のような無条件に認める約束事があること。そして,それらの約束事は矛盾が生じなければ,どんなものでもよいこと。従って,フェルマーの定理が成り立たないような体系を作ることも可能かも知れません。(このあたりは自信がありませんが)
 実証科学の実験や試験は,いくらでも考えられる数学的モデルに相当する仮説の内,現実の現象に最もよく当てはまるのはどれかを探す行為と言えます。数学の証明に相当する実証科学の行為は,仮説の体系の内部で,どのような現象が生じるか予測することでしょう。その予測が正しいのかは実験で実証的に確かめますが,確かめられなかったとしても,その仮説が現実に合わないと分かっただけで,仮説が成り立つと仮定した場合に予測を導き出した「論理」に間違いがあるとは限りません。現実にあわなくても内部矛盾のない体系はいくらでも考えられます。
 つまり,論理による証明とは数学モデルや仮説という体系内部の行為であり,実証とはその体系が現実に適用できるかを確認する、体系外部の行為です。

説は論理ではなく方針で選定される
 数学のモデル化された体系はいろいろありますが,実は現実の現象を扱う仮説もいろいろなものが有り得て,どれが正しいと論理的には決めることは難しいのですね。実験に合わない場合も,アドホックに例外規則を付け加えれば合わせることは出来るからです。そこで,選定は論理ではなく,「オッカムの剃刀」という美的方針が用いられることが普通で,最も単純な説が採用されます。アリストテレスの説でも物体の運動は説明可能ですが,それよりもニュートンの説,さらにはアインシュタインの説の方がより多くの現象を単純に説明出来るので採用されている訳ですね。用途によってはニュートンの説の方が便利な場合も多いです。
 CSについての臨床環境医の説にはアドホックな説明が沢山有ることをNATROMさんが解説しています。(他種類の物質に反応し特定出来ないこと。適応馴化で反応しないこともある。離脱現象で原因物質を取り除くと悪化することがある。など)論理的にはこれを否定することは出来ません。生じて了った症状や生じなかった症状を後付で説明することは出来るからです。というか何でも説明出来ます。しかし,なんでも説明出来るということは,予測(病気の予防,治療)という面では殆ど役に立ちませんね。