論点と差別

 sivadさんは、次のエントリーで「NATROM氏の発言を誰も論じないのは姑息だ。」と書いています。
http://d.hatena.ne.jp/sivad/20130712
これは、NATROMさんの発言を論じれば、sivadさんの批判者に都合の悪いことが判明するので避けているのだとおっしゃりたいのかと想像します。でも、NATROMさんの発言は不適切と考えるけれども、sivadさんのNATROMさん批判は筋が悪いという人もいるかもしれません。sivadさんの言説を批判しているのであって、NATROMさんの発言には関心もなければ関係もないという場合もあるのじゃないでしょうか。(もちろん、私はそうではありませんが。)むしろ、sivadさんの言説への批判を相手にしたくないと避けているかのような印象を与えてしまうのではないでしょうか。
 ただ、sivadさんが、自分の言説への批判を実際に避けているかというと、そうではありませんね。件のエントリーでも、ドイツの状況などを引用して、CSが医学界で認められた疾患であると主張されています。これこそが、主要な論点だと思います。
 私が、CSを水俣病と同列に論じるsivadさんを批判したのは、CSが医学界で認められた疾患ではないと考えるからです。またNATROMさんも同様にお考えですから、私のsivadさん批判はNATROMさんの発言と関わりがあり、「NATROM氏の発言を誰も論じない」という愚痴はわたしには該当しません。
 sivadさんとしては、CSが医学界で認められた疾患であると考えているので、「医原病」をはじめとする、引用されているtwitterの発言が「ひどい」と思うわけでしょう。一方、CSは根拠が示されていない仮説に過ぎないのであれば、それに基づき診断し、効果のない治療を行い、逆に悪化させたり、長引かせている状況はまさに「医原病」であると言えます。
 実は、NATROMさんに概ね賛同を示す人でも、「医原病」発言は「言いすぎ」あるいは「不適切」という人が結構います。では、なぜそうなのかという理由はあまり明確に示されません。CS患者さん等が行っている事実誤認や論理矛盾があるという指摘ではなく、表現がきつすぎるとか、患者さんを刺激するというような感覚的な理由のようです。こういう場合は、理由を示すことが困難で「発言をみてどう感じるか」だけが理由なのです。まあ常識的に判断できるだろうということかと思います。
 sivadさんも、4つのNATROMさんのつぶやきを引用して「あらためてひどいですね。」と書いています。理由は述べるまでもなく、常識でわかるだろうという感じです。でも、「常識」というのは何らかの前提に基づいているもので、それは自分にとって当たり前過ぎることです。この場合は「CSは医学界で認められた疾患である。」です。しかし、相手がその常識を共有していない場合は根拠を示して納得させる必要があります。さもなければ「常識も知らないやつだ」という罵り合いになり議論になりません。

 さて、「CSは医学界で認められているか」の議論において、両陣営の主張は対称関係にないということに注意すべきです。一方は、超微量の化学物質に反応していると仮説を提示するだけでなく、それに基づき医療現場で治療を行っています。他方は、仮説に過ぎす根拠がないと言っているだけで、別の新しい説を主張しているのではありません。個別の症例では、心因性と判断するのが妥当な場合が多いとは言っていても、CSの訴えの総てが心因性と主張しているわけではありません。臨床環境医はCSの診断基準を新しく提示しているのですから、それが有用である根拠を示す責務があります。一方それに疑問を示す医師は新しい診断基準を提示しているのでもなんでもなく、CSの訴えの中には、既存の確立された診断基準に当てはまる場合が多いと言っているだけです。新しい疾患概念や診断基準、治療法を提示する側が根拠を示さなければなりません。
 さらに、臨床環境医の仮説に基づく治療を急ぐ理由もありません。原因不明で理由もわからないけど、とにかく効果のある治療法であれば、行った方がよいでしょう。しかし、臨床環境医の治療に効果があるという根拠はありません。それどころか、患者さんの生活に大きな負担を与えているように思えます。

 sivadさんの示された「論点」に関わるドイツの例については、私は内容を論じる能力がありません。ただ、ドイツ以外はそうではないということであり、決着はついていない、つまり仮説に過ぎないということを示しているのじゃないでしょうか。また、
「MCS病は職業性疾患同様補償されるべき」に書かれていることは、原因不明でも症状があるのは確かなのであるから、保険等の何らかの患者救済が必要という趣旨で、私も同感ですが、原因はわからないということですから、臨床環境医の治療を安易に行うべきではないでしょう。
 最後に非常に気になったのは、CSN(化学物質過敏症ネットワーク)の文書の次の表現です。

「MCS 患者イニシアチブは、精神疾患であるという差別に対して行動を起こし、・・・」

これは精神疾患に対する偏見・差別ではないでしょうか。
「アレルギーであるという差別」、「中毒であるという差別」という言い方はしないと思います。

(補足)
sivadさん引用の4つのNATROMさんのつぶやきのうちの一つ、

https://twitter.com/NATROM/status/344017514835095554

臨床環境医たちが厳しい診断基準を作らなかった理由を、「顧客が減るから」だと私は推測する。連中は患者のことなんて考えてないよ。不安を煽って顧客が増えればそれでよかったのだろう。

これは、余計で失言かもしれません。人の心の中は推測するしかありませんから。ただ、ちゃんと「私は推測する。」と書いてはあります。NATROMさんとしては臨床環境医の善意を疑う傍証があったのかもしれません。あくまで傍証ですが。

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http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20090618