21年2月24日 浦賀港着

 「日本が見えた」と甲板に居た者が船室に知らせてくる。甲板に上がると富士山が見える。きれいだなあと思う。然し海岸付近の森林は切り倒したのか焼けたのか将亦空襲の為か殆ど緑色がなく赤土色である。
 浦賀の港に入ると大発が迎えに来る。皆元気で大発へ飛び乗る。愈々日本の土へ上がるんだと思うと色んなことが想い浮かんでくる。陸地につく。飛び降りて「やっと日本に着いた」とつぶやく。二度、三度と足を踏みしめてみた。近所の民家。70歳位の婆さんが5歳くらいの女の子に「兵隊さん、遠いところで私たちのため働き、今やっと帰んさったとよ(九州弁なので変であるが、おそらく父は九州弁と思っていなかったのでは)」言っている。私は女の子の頭を撫で「お利口さんね」と言いながら、船中で5円で買った蜜柑を握らせた。「兵隊さん有り難う」と言ってくれたのが日本に帰り初めて聞いた言葉である。(このあたりも変だが)
 二日間兵舎跡に宿泊。検疫実施。6000円支給されたが蜜柑一個、円では今使いようがない。