21年2月17日

 今日、日本から迎えが来る。
 皆何をするにもその顔総てが嬉しそうである。小生も枕の布地を綺麗に洗い、コーヒーの実をいっぱい入れて縫い合わせる。外見は枕であるがこれが唯一の土産だろう。他にムンダで入手した蛮刀で柄に彫刻した40糎位の刃物を持っていたが、内地へ持ち込めるかどうか不明。時刻が来て大発に乗る。ショートランド諸島沖に病院船氷川丸の雄姿が見える。立派な船だ。未だこんな凄い船が日本にも居たんだな?と不思議に思えた。
 大発が収容所の岸を離れる時、野砲連隊長が淋しく又嬉しそうにな顔をして手を握り別れてくれた。「先に元気で日本に帰ってくれ。必ず俺もその内帰ってくる。元気で・・・」連隊長は戦犯容疑で裁判がある為残らねばならぬとのこと。どんなにか不安な気持ちで居られたことかと思う。然し後日、同連隊長は4年の刑を了え無事九州に帰ってこられたと聞く。船で別れる時の戦犯嫌疑で今から裁判を受ける者と何年ぶりかで家族の待つ内地へ帰る者、両者の心境は言葉では言い尽くされないものがある。
 停船した氷川丸の舷側に大発が着く。タラップが降ろされた。顔色も血色もよく丸々と肥えた看護婦の顔が一杯出迎えてくれる。装具を持った兵がタラップを登ろうとしたが、弱っているので登れない。看護婦が元気よくタラップを降り兵の装具を片手でホイと担ぎ、片手で兵の尻を押し上げてゆく。「なんと日本女性は美しくなんと強いんだなあ」と殆どの者が感心していた。
 途中一週小笠原諸島付近で台風に会い心配したが、氷川丸は堂々と内地目指して進んで行く。ガ島進出の時は台湾からラバウル迄ジグザク行進で一ヶ月余りを要したがなんと早いことか。
 船室ではお互いに国についたら手紙くれ、良い仕事があれば心配してくれと内地の話で一杯である。広島、長崎の者は「自分らはどこに帰るか判らない。市役所はどこかにあるだろうから市役所を訪ねていくよ」と言っていたが淋しそうに見えた。