セ号第二次撤収作戦について

「ソロモン海的中突破」より転載

第二次出動をしぶる艦隊司令
 第一次作戦の経過を見ると,既に吾が方の撤収の企画が米軍側に探知されて居る様に思われ,第8艦隊司令長官より「第二次機動決行延期」の電報命令が,スンビ基地舟艇部隊芳村指揮官あてにとどいた。指揮官はこの電報を見て大いに苦悩したが,その時のことを戦後次の様に回想している。
 「たとえ延期しても海軍からの救援舟艇部隊の護衛強化は,期待出来る状況下ではない。現地情勢は切迫。延期は残存部隊6000名を見殺しにする最悪の場面になることは必至である。
 成否に拘わらず,吾が舟艇部隊も全滅を賭さねばならない。第一次輸送の時不思議にも撤収部隊満載舟艇が殆ど奇跡的覆滅をまぬかれたのは,神仏のご加護がこの救援活動に厚くあるものと看取された。そこで延期反対,予定通り続行を決意。意見を具申した」
 意見具申はついに採用された。芳村少将は9月30日機動舟艇隊に対し,第二次撤収決行作戦命令を下達した。

 下達の要旨。
?神助の加護と諸隊の勇戦敢闘により第一次転進機動は,所期の如く成功せり。
?機動舟艇部隊は再度コ島に転進,第二次機動の必成を期す。出撃部隊は10月1日駆逐艦3乃至4を出撃警戒に,10月2日自余の駆逐艦全力を以て出撃3隻を輸送艦とし,9月28日に準じ人員搭載を行う。
?各舟艇部隊は第一次転進機動要領に準じ,第二次転進機動を完遂すべし。但し海軍舟艇部隊長は10月2日駆逐艦3隻に対し約2000名搭載後速やかに転進すべし。艇搭乗人員は最小限100名とし,1名の残置者もなからしむべし。使用舟艇区分次の通り。
 海軍舟艇部隊大発12隻 護衛艇3隻
 船工第2連隊大発18隻 護衛艦4隻
 船工第3連隊大発13隻 護衛艦3隻

又第二次輸送は10隻以上の過剰人員で,そのため南東支隊長は艦隊と交渉,人員輸送駆逐艦の参加を決めて貰ったが,それでも支隊長は用心のため大発だけの輸送を決め,大発1隻に120名(定員80名)を乗せることにした。
 18年10月1日午後5時 いよいよ第二次コロンバンガラ島撤収作戦だ。各舟艇部隊はスンビー基地の入り江を,力強く再度の成功を念じ芳村指揮官等に見送りを受け出動した。
 その夜米軍も吾が撤収作戦を知ってか,かなりの兵力を繰り出し妨害せんとした。米クック大佐の指揮する駆逐艦ウォラー,イートン,コニイの一隊。チャンドラ中佐指揮するラッドフォド,ソーフレイ,グレイソンの一隊がこの狭い海域を互いに邪魔しない様間隔をとって動き回っていた。
 午後7時30分,海軍舟艇部隊は左前方から正横付近にかけて約10粁位の距離から駆逐艦射撃を受けたが,これはたまたまよその方角に居た吾が伊20号潜水艦が水上状態で米イートンに発見され攻撃を受けたものであった。舟艇部隊はすぐ西に変針して離脱を計ったが,その間不幸にも伊20号は沈没した。(合掌)
 東方が静かになったので再びコ島に向首して走った。
 午後8時30分,前方暗黒の海面から,前方2粁付近を3隻の駆逐艦が30ノット近くの猛スピードで右から左へ斜めに通過した。チャンドラ指揮のラッドフォド外2艦であった。3艦は後方に廻るようにして射撃開始した。 おきまり星弾射撃である。舟艇隊の上空を越したあたりで天空をおおう大音響で破裂した。
 又数数の照明灯をずらりと夜空に打ち上げるので,舟艇隊が明るみに晒された。一斉に面舵をとって避退したが,それを追うように敵砲弾が吾等の周囲に落下,辺り一面水柱の側帯を吹き上げた。10分位して敵は疾風の如く去っていった。北天岬の入り口で数隻の大発が着いていたことを知り,砲撃を受け後一部は高砂浜,小浪入り江に向かったものであるらしいというので,まだ諦めるに早いと思ったが,第一中隊長伊藤大尉の顔が見えないのが気になった。