昭和18年4月18日,山本元帥の死

 戦況が厳しくなるにつれ陸海の別なく軍司令官が視察されることになり,又当時は誰という名前の発表もなく,ただ偉い人が来島視察されると言うことであった。ジャングル内で地面も水気があるので,4,5日前から海岸より砂を運び通過される道路に一米幅くらいに敷き詰めた。巡視には誰が来られるのか,当日正午盛装(破れ服ではあるが,洗濯したもの)で待っていたが,午後3時過ぎ「本日巡視取りやめ」となる。ついで各隊に「捜索兵を出せ」と伝令がくる。中隊より10名程捜索隊に加わる。
 米軍の暗号解読により,山本長官機が米軍機の待ち伏せをうけ撃墜されたのだった。(合掌)