昭和18年2月1日〜2月7日

 この一週間日本駆逐艦20隻ガダルカナル往復。奇跡的に1隻も損せず半死半生の12000名の生存者救出に成功。1000名の捕虜を除き23000名以上が遂に再び帰らなかった。
 然し海軍航空隊は航空基地重要性を痛感。ガダルとボーゲンビルの中間にあるニュージョージア島ムンダに飛行場造成を開始。その警備として山砲第2大隊第4中隊も出撃する。
 同じく海軍第8連合特別陸戦隊4000名,設営隊3600名,陸軍部隊6000名が進出。着手と同時に敵機来襲。輸送船3隻の内1隻沈没,1隻炎上の損害。弾薬と食料が欠乏してゆく。
 以上の通りでレガタ基地では敵機の飛来殆ど無く,見る飛行機は日本軍機ばかり。本当に連合艦隊が攻勢に出てきたものとばかり思えて頼もしいと思っていた。然るに,連絡に来た水上機乗員より,日本軍は総員転進撤退の由聞く。全然予測すらしていなかったことである。
 更に「現在前のツラギのように此処が第一線です。ツラギのようにいつ攻めてくるか判りません」と言って話は飛躍する。