昭和16年12月22日

 昼頃である。先が進まない侭,山峡の一本道で休んで居ると,後方の歩兵が「敵戦車だッ」と大声で叫んだ。成る程先刻よりパリーパリーという戦車の音がするなと思っていたところだった。戦車の音が次第に近づいてくる。
 道路上にいた兵・馬総て谷間や山の陰に遮蔽する。小隊長の命で直ぐ砲を道路の中央に組み立てる。後方道路の曲がり角山の端へ直接照準をつける。隊長の「距離300米直接照準瞬発信管」の号令。曲がり角山の端へ戦車が首を出したら,回転の瞬間にキャタピラを砲撃,第二弾で砲塔をと決意。1番2番3番砲手だけ道路上に残り戦車との対決を待つ。私の照準に狂いはない。張り詰めた数秒。「生きて帰れば親許へ,死んで帰れば仏の許に」と念じたのもこの時である。然し歩兵伝令より「敵戦車は他の道へそれていった」と連絡有り,張り詰めた気も瞬時にしてゆるんでいった。