昭和16年12月8日

 やっと寝たかと思うと,「起床ッ」と当直に起こされる。午前3時だ。改めて出発はいつでもできる様に準備しておけとのことで,砲車弾薬機械を並べ馬にも鞍をのせ,いつでも出発できる態勢を整えた。夜が明けてきた。見た処草原で岡が所々高くなり,舗装された道路が一本南北に通過している。愈々出発,だが先が遅々として進まない。山砲は途中山越えのこと分解。田圃道に入り,馬も岡の上り下りに転んでは起こされ苦労している。兵も大変だ。正午過ぎ,アスファルト舗装道路に出る。砲を組み立て契架で進撃する。後方より荷物を満載したトラックが追い越してゆく。午後4時頃,漁船らしい舟が一杯居る漁港に着く。宿舎が割り当てされる。突然九竜の方角で異様な爆発音を聞く。皆びっくりしたが何の音か判らない。その内英軍が九竜トンネルを爆破したものと判った。
 翌日は山峡い(やまかい)の部落に宿営。鹿島市出身M武上等兵が大きな黒豚を連れてきた。中国人同伴だ。M武上等兵は体格も申し分なく非常に器用な人である。十字鍬で豚の額を一撃したが急所を外れ,豚は上等兵に跳びかかってゆく。他の上等兵がこれは危ないともう一度脳天を一撃した途端,さすがの豚もひっくり返った。M武上等兵は熱発しマラリアで寝込んでしまった。その日はおかげ様で,旨い豚料理を戴いた。然しM武上等兵は一口も食べなかった。豚の内臓その他は,連れてきた中国人が「ホーホーデー」言って喜んで持ち帰った。
 中隊機関の観測通信小隊に東北から来た初年兵が居た。きれいな葉を野菜と間違え夕食の料理に出したところ,小隊の半数が下痢反吐など中毒症状を起こし寝込んでしまった。中毒をおこしたものは喫煙しない者ということで,煙草の葉を料理に使ったものと判った。