昭和16年9月

 仙尾引き上げ,広東へ帰営する。戦闘訓練は日増しに激しく,殊に砲の射撃については厳しさを増す。世界の情勢悪化に対する為と思われる。白雲山では,砲を馬より降ろし険しい山坂を分解搬送,山の稜線手前で砲を組立て弾を込め,稜線上へ押し上げ直接砲門射撃だ。重い砲身を担い登坂しようとする山の稜線を見上げては「もー,あそこ迄行く間に息絶えるよな−」と戦友同士語り合うことが何回あったことか。
 亦連隊の砲門射撃競技会も行われたが,優秀な成績を上げたことは知る人ぞ知るである。或いは赤土の黄塵だらけの泥路で強行軍が行われたが,人馬共に顔の見分けもつかない程汗と黄塵だらけの時もあった。