昭和15年6月12日 

愈々西部第53部隊に入隊である。営門を入る。
山砲兵科で、軍服・衣類・帽子其他支給品は総てが大きい。気を使った下士官が「此の営門を入ったら、すべての支給品に自分の身体を合わせるんだ」と聞かせてくれたが、大世帯なれば致し方ないことだと思った。私服は全部まとめ、ついてきた妹に渡す。
 内務班の教育も4日位は親切にしてくれたが、その後は夕点呼の時間など次第に厳しさを加えていった。将校が「軍隊に入隊して希望するものは何か」と訊く。よく聞かれる言葉であるが返事は兵皆一様である。「自由が利かないこと、少し何とかならないか」という答えだけだった。訓練も厳しく激しくなってくる。時々戦地帰還の兵がやってくる。吾々初年兵のようにはこせつかず、悠々と歩くのを見て、吾々も大陸から帰還したらあんなになるのだろうかとお互いに話し合う。