忘れえぬ数々の生死・栄光と死斗への門出。私の第二回召集は、佐賀警察署勤務拝命後(s15.5.11)間もなくのことだった。
その日午前11時頃O坪次席警部の訓練中、折しも明治神宮剣道全国大会を目指す連日の猛訓練は、当日の春うららな陽気とあいまってうつらうつらしていた時である。突然、O坪次席より「N田巡査居るか、居たら直ぐ署長室へ行ってくれ」と呼び起こされたのである。
起立して「直ぐ署長室へ参ります」と返事したものの、居眠り中のことばではあり「何事ならん」と一階署長室へ行く。入口扉の前に姉が立って居たので用件を聞こうとした処、「早く中へ」とY田署長の声あり、署長室に入る。
「お目出度う。今回6月12日西部第53部隊へ召集令状が来た。お世話になって居る0麻先生へ御挨拶に行きなさい」とのことである。突然のことで本当だろうかと半信半疑の思いであり、「挨拶には直ぐ行きますが、それで何日から休ませて戴けますか」と尋ねる。「召集が来て仕事も落ち着かないだろう。身辺な整理もあることだ。今日よりやすんでいいよ。しっかり頑張って来て呉れ。今秋の剣道大会は本当に楽しみにしていたんだよ」と励まして貰った。署長に礼を述べ、三階召集会場へ戻り「今回召集礼状が来ました。短い日数ではありましたがよく御指導下さいまして有り難う御座いました。佐賀県警察官らしく征って来ます。有り難う御座いました。」と挨拶。警務・会計等に寄って整理を了える。姉と共に当時の住所ー今宿町安住の家にかえり、それより故郷島原市に向かった。
島原では既に早いこと、出征の旗9本が立てられていた。母姉弟妹夫夫に挨拶する。やっと近所親戚も廻りゆっくりしたいと思うが、次々に用件が湧いてくる。町内(N町)の武運長久祈願祭も、土黒村宇土神社へ皆様と丸一日がかりの参拝である。6月11日迄、長いようで短いと、次々に挨拶に来てくれる人、亦当方よりお伺いせねばならぬ人等々の毎日であった。