1945-08-01から1ヶ月間の記事一覧

21年3月2日

夜やっと島原町駅に降りる。電報連絡していたので改札口には姉と妹が二人出迎えに来ていた。姉の顔は覚えていたが妹の顔は誰か直ぐ判らない。帰る途中,中学時代の剣道の友人K本君の自宅前を通ったので姉に聞いたところ,冬寒い時でもよく表の玄関を出て息…

21年2月26日

浦賀発。二人掛け椅子に三人掛ける。長崎行き臨時列車である。東海道沿線は殆ど爆撃を受けており、駅も大部分焼け、焼けた汽車等引き込み線に放置された侭である。工場は焼け落ち焼け曲がった鉄骨だけが建っている。名古屋市内は一面焼け野原である。大阪駅…

21年2月24日 浦賀港着

「日本が見えた」と甲板に居た者が船室に知らせてくる。甲板に上がると富士山が見える。きれいだなあと思う。然し海岸付近の森林は切り倒したのか焼けたのか将亦空襲の為か殆ど緑色がなく赤土色である。 浦賀の港に入ると大発が迎えに来る。皆元気で大発へ飛…

21年2月17日

今日、日本から迎えが来る。 皆何をするにもその顔総てが嬉しそうである。小生も枕の布地を綺麗に洗い、コーヒーの実をいっぱい入れて縫い合わせる。外見は枕であるがこれが唯一の土産だろう。他にムンダで入手した蛮刀で柄に彫刻した40糎位の刃物を持ってい…

21年1月上旬 私ハ日本人デスカ、台湾人デスカ

台湾出身の設営隊員は飛行場建設、防空壕掘り、山岳ジャングル内での作業等総て内地人以上に元気でよく頑張ってくれたと思う。時々作業場で会っていた台湾出身設営退院と偶然会い、無事元気で会えたことを手を取り合って喜んだ。その頃折に触れ日本への帰国…

20年9月上旬 日系二世の通訳により兵器提出

その後米豪軍ジープに乗り「エイ」と大声を上げ猛スピードで走るのを見る。兵器提出処分の命があり、海岸砂浜へ各隊毎に機関銃、小銃、手榴弾、山砲弾、各種火薬類等員数を記載し並べる。二世の通訳指示により大発に搭載、約2粁沖に沈める。今日までなじみ…

20年8月20日

エレベンタ海岸に出てみると夕食の炊事の火が赤々と照り、海岸線をずっと先まで続いている。あんな所まで日本軍は居たのかと思う。と同時に本当に戦争は終わったと実感する。 今日まで苦楽を共にしてきた戦友が一人減り二人減り、自分の番はいつだろうかとそ…

20年8月18日

中隊全員集合。会報で終戦を聞く。どうして終戦なのか、日本軍は勝ったのか負けたのか。どちらにしても色々な条件があるだろうに、と安心と不安が交互に頭の中を駆け巡る。