1941-09-01から1日間の記事一覧

昭和16年12月29日

軍の方針により,山砲隊は国境の深圳(シンセン)地区警備に回された。休日は香港の名所でも見学しようと思っていたが,とうとう夢となった。国境へ向かう。作戦中遠いと思っていた道路を逆に行進して,こんなに近い道だったかと驚く。山砲はつらい。 学校跡…

昭和16年12月28日

香港入城式。大きなビルの建て並ぶ市街で実施される。窓には日の丸の旗が差し出されている。陸海軍の兵整列し海軍軍楽隊の行進曲が流れる中,陸軍中将酒井軍司令官や海軍司令官・幕僚達が乗馬姿で行進してくる。私には初めての亦最後の入城式であった。

昭和16年12月24日

「英軍の強靱な抵抗も遂に潰える時が来た。敵はもうこれまでかと降伏したのだ。九竜半島,香港島を併せ大復廓陣地を築いて居り,かつての日露戦争時の旅順要塞にも比すべき陣地であった。S本連隊長指揮大砲兵団火力を以て空から容赦なき爆砲撃を振る舞う。…

昭和16年12月22日

昼頃である。先が進まない侭,山峡の一本道で休んで居ると,後方の歩兵が「敵戦車だッ」と大声で叫んだ。成る程先刻よりパリーパリーという戦車の音がするなと思っていたところだった。戦車の音が次第に近づいてくる。 道路上にいた兵・馬総て谷間や山の陰に…

昭和16年12月21日

海抜430米のニコルソン山では,敵味方の第一線が対視。山の斜面を利用した敵が,肉薄する日本軍に手榴弾をぶつけ転がしている姿も見える。彼我の前線密着接近の為,援護射撃は無理である。死闘数時間,歩兵は一つ一つ岡の陣地を攻撃してゆく。

昭和16年12月20日

守るに易く攻めるに難しと言われた香港島。 陣地が段々上へ上へと山又山に構築されている。地形も谷多く歩兵は悪戦苦闘,戦死者も多数出たと聞く。敵味方あまりに接近しすぎて陣地砲列を敷く間もない程であった。

昭和16年12月18日

夕刻,愈今晩香港島へ渡河決行との命令下る。夜になると敵は自動回転式探照灯を照射してくる。探照灯は香港島中央山腹がボーッと明るくなると,九竜西端海岸より照射し,吾々がこれから下山渡河点へ前進しようとする道路を照射,現地点より東の方山腹へ移行…

昭和16年12月17日

夜明け方,砲の側に寝ていたところ,突然大きなうなりを立てブルンブルンと敵砲弾が飛んできた。昨夜の山砲の砲撃地点を目標に撃ち込んできたものと思われる。ブルンブルンと頭上すれすれに大きなうなり音をたて,陣地後方谷間の駄馬位置へ飛んでいってはも…

昭和16年12月16日

夜香港島海岸のビルに対し,トーチカ代わりに使用されないよう破壊の為撃ち込む。

昭和16年12月14日

九竜の北側山岳地帯に進出。目指す香港は前方眼下。初めて見る香港は,海岸より山上に向かってビルが連なって見える。港内には日本軍の爆撃による数隻の船が沈んでおり,マストだけが見える。ちょうど日本機が一機上空に飛んでいる。香港側からは丸見えの道…

昭和16年12月8日

やっと寝たかと思うと,「起床ッ」と当直に起こされる。午前3時だ。改めて出発はいつでもできる様に準備しておけとのことで,砲車弾薬機械を並べ馬にも鞍をのせ,いつでも出発できる態勢を整えた。夜が明けてきた。見た処草原で岡が所々高くなり,舗装された…

昭和16年12月7日

国境を前にして丹竹へ夜9時頃着く。軍命令で「部隊は何日まで此処に駐留するか不明。出発もいつ出るか判らない。即刻出発できる態勢に準備はしておくこと」となり,食品等は喫驚りする程支給される。空は真暗闇で灯火等自由に灯されない有様だった。

昭和16年11月25日

広東大沙頭駅出発,九竜鉄道南下,石龍宿泊の後隠密作戦行動として夜行軍となる。何処へ行くのか皆目判らなかったが,その内佐野兵団配属・目的地は香港と判る。東莞・白沙・河田を通過,蕪村に入る。昼寝て夜行軍の繰り返し。昼寝ると言っても何や彼やとあ…

昭和16年9月

仙尾引き上げ,広東へ帰営する。戦闘訓練は日増しに激しく,殊に砲の射撃については厳しさを増す。世界の情勢悪化に対する為と思われる。白雲山では,砲を馬より降ろし険しい山坂を分解搬送,山の稜線手前で砲を組立て弾を込め,稜線上へ押し上げ直接砲門射…