厚労省のHPVワクチン対応とトロッコ問題

 次のリンクは、7月ごろのHPVワクチン接種についての、岩永直子さんと元厚生労働省健康課長の正林督章さんの対談です。

 HPVワクチン 厚労省はいつ積極的勧奨を再開するのですか?

 あらためて読んでみて、正林督章さんの見解は「トロッコ問題」に悩んでいるようだなと思いました。でもよく考えたら違いますね。違うけれど、共通するところもあります。

 トロッコ問題

 「HPVワクチンを接種すれば、多くの将来の子宮頸がん患者を救うことができるが、少数の副反応被害をもたらす。被害の大きさからすれば、接種すべきだが、副反応は人為的接種による被害だ。一方、子宮頸がんは自然のものだ。多くを救うためとは言え人為的に犠牲者を出してよいのだろうか。」

 というような気分だったのかもしれません。ただし、「トロッコ問題」は純粋に倫理的な問題で、法的な責任は問われないという前提があります。判断するものの内面の道義の問題です。これに対して、正林督章さんは、積極的勧奨を止めたのは、マスコミが接種は危険であるような報道をしたからだとボヤキを言っています。つまり、法的責任を心配しているわけです。マスコミが作った世論の責任まで行政にあるのかと疑問を呈しているのは正にそういうことでしょう。副反応を起こしていいのかと道義的に悩んでいるのではなく、副反応被害が起こった時に世論が行政の責任を問うことを恐れているわけです。そして、そういう世論を作ったのはマスコミじゃないかと愚痴をいっているように思います。マスコミに愚痴を言いたくなる気持ちはわかりますが、道義的な悩みではありません。

  ここから本題ですが、 私も「トロッコ問題」を初めて知った時は悩ましい問題だと思いました。しかし、最近は大した問題ではなく、人道的行為に思えるのは感覚の問題に過ぎないと考えるようになってきました。もっとも、尿瓶でビールを飲みたくないように、人間にとって感覚の問題を無視できないのは確かです。5人がトロッコに轢き殺されるのを傍観しているのは気持ちよいものではありませんが、自ら手を下して一人を轢き殺すよりは抵抗が少ないのは私も同じです。

  トロッコ問題は極端ですが、人のための行為は同時に人に危害を与える部分が多少なりともあるのが普通です。人を切り刻むのは非人道的行為ですが、病を治す手術なら、医師は悩みません。でも、一般の人は緊急時で手が足りないから手術を手伝ってくれと医師から頼まれても、抵抗があると思います。この場合は人道的というより生理的嫌悪感と失敗の恐怖ですが、実は人道的嫌悪感というのは生理的嫌悪感の洗練されたものという気がしないでもありません。

 100%良い行為や100%悪い行為はそれほどありません。多くの問題は、誰かを助ければ、誰かが被害をうけます。従って、総合的に判断しなければなりませんが、えてして悪い部分というものは人間の感情や生理的嫌悪感に強く訴えます。非人道的で道義的に問題があるように感じ、その結果、不作為の傍観者になって大きな被害をもたらす、ということが最近の社会問題の多くに共通しているように見えます。

 ミスタースポックは、人間味に乏しいですが、いい仕事をしていました。