不確実な状況での判断 - 過剰診断と過剰治療


 過剰診断とは、メリットがデメリットより小さいのでしない方がよいと分かっている診断です。そのような診断によって、自覚症状のない病気を発見した場合でも、治療したほうがいい、というのは非常に理解しにくいです。そこで、NATROMさんにお尋ねしたら上記のお返事を頂きました。

 診断しない方がよい理由は、診断で無症状の病気を見つけても、治療の要否がわからないからだと、私は、考えていました。治療の要否の分からない病気を発見しても無意味で、検診の負担だけデメリットが増えるから検診はしない方が良いといえるからです。ただし、「治療の要否が分からないならば、検診しない方が良い」が正しいとしても、逆の「検診しない方が良いならば、治療の要否は分からない」は必ずしも正しいとは限りません。実際に膵臓がんの場合は治療したほうがよいらしいので、もう少し、詳しく知りたいと思いお尋ねしたわけです。

 ところが、どうも、私が思っていたように、治療したほうが良いか、しない方が良いか本当はよく分からないようです。それを調べる臨床試験は倫理的に実行不可能だからです。ではなぜ、治療することになるのでしょうか。NATROMさんから、次のツイートもありました。

 医者としては治療しないわけにはいかない事情は、部外者の私には想像するしかありませんが、治療せずに悪い結果になった場合、責任を問われるというのはありそうです。また、病気が見つかっても治療しないと考えている人が診断を受けること考えにくく、当人も治療しないと不安でしょう。医者として、その不安を無視することも心が痛みそうです。

 しかし、そうであれば、診断の場合もしたほうが良いか、しない方がよいか分からないので、診断せざるをえない、とも同様に言えることになります。従って、診断の場合は、しない方が良いといえる明確な根拠があるはずです。実際にも、倫理に抵触することなく診断群と非診断群の比較は可能のようです。その結果、死亡率などの違いがなければ、診断の負担だけデメリットが増えるため、しない方が良いと言えます。ところが、そのことから、治療と非治療の比較の推測もできるんじゃないの、というのがそもそもの疑問でした。

 なぜなら、診断と非診断の結果に違いが出るのは、診断によって発見された無症状の病気が治療された効果だと考えられるからです。もし、治療しないなら違いは出ないでしょう。そのことから、間接的には、治療と非治療の比較はできそうだと思ったわけです。しかし、間接的な比較では、いろいろな可能性が増えてきます。例えば、発見された病気は治療したほうが良いけれども、診断に伴う別の悪影響があって、それが相殺して診断群と非診断群に違いがないということも考えられます。そのような偶然の可能性は非常に少ないような気がしますが、可能性としてはあり得ます。

 結局、診断しない方が良い無症状の病気も発見されてしまえば、治療したほうが良いといっても、本当のところはわからず、治療しない方がよい可能性が高そうな気さえします。それでも、可能性に過ぎないので治療せざるを得ないのでしょう。それに対して、検診はしない方がよいという場合は、かなり明確な根拠があるということなのかな、と思うに至りました。