「異常」

 「同性愛は異常」とヤジを飛ばした県議がいました。このヤジよりも次の言い訳の方が問題です。

「差別的意識でなく、同性愛を認めれば少子化が進み、国も地方も成り立たなくなるという趣旨だった」

 時代錯誤県議に対して「同性愛は正常」と言うと、「異常は異常だろ」という人が必ず現れます。そうしたことは「異常」という言葉の定義次第でどうとでもいえます。それよりも、国や地方も成り立たなくなるような害悪なのかです。それが本当なら同性愛は認められません。犯罪は正常だろうと異常だろうと認められません。個人的嗜好で同性愛を「異常」と思うのは勝手ですが、県議という立場で認められないと発言すれば犯罪と言ったも同然です。

 そもそも、「異常」や「正常」という区分は取扱い注意です。「異常」という言葉には「排除すべき」という価値観が感じられますが、単に少数という事実を示しているだけの場合があります。その場合ですら、「異常」という言葉で意味のすり替えが行われ社会的に認められないことがあります。

 例えば医学的な「異常」です。一般には人間ドックなどの検査結果を「正常範囲内」と言ったりしますが、それを外れると健康上の支障があるかというと必ずしもそうではりません。個人差が大きいからです。ただ、健康上の支障があるのなら「異常」と言ってもよいでしょう。望ましい状態ではないからです。しかし、「異常」な病人が存在を許されず、刑務所送りなることはありません。一応はそうです。

 一応はと注釈を付けたのは、歴史的にはそうとも言い切れないからです。かつては、ハンセン病エイズのような伝染病は存在を許されないとまでは言わなくても、社会から排除され、差別を受けました。現実に隔離をする必要のある病気もありますが、必要のない場合まで誤解による恐怖から差別されました。

 エイズも同性愛も通常の日常生活程度のお付き合いでは感染しません。ところが、「同性愛を認めれば少子化が進み、国も地方も成り立たなくなる」というような人は感染で国中に広まると心配しているわけです。無知のせいで恐怖に怯えているのです。

 とはいえ、病気は治るなら治ったほうがよいと考えるのが普通です。ところが、さらに小数ですが、病気のままでよいと考える人もいます。たまたま、「18歳のビッグバンー見えない障害を抱えて生きるということ」(小林春彦著)という本の書評を見ました。高次脳機能障害の著者が健常者に近づくためのリハビリをやめるくだりがあるそうです。こんど読んでみます。

 以前に生物学を持ち出して同性愛を擁護するのは要注意というエントリーをいくつか書きました。

同性愛を恐れる理由
http://d.hatena.ne.jp/shinzor/20150629/1435567074

余計なお世話 
http://d.hatena.ne.jp/shinzor/20150527/1432715564

 生物学的に「正常」でも人間社会で認められないことはいくらでもあります。石田純一が浮気を正当化しようとしても慰謝料は取られます。逆に、「異常」でも社会に害悪を及ぼさないなら、ほっといてくれと思います。