先生が教えた気になれる「掛け算順序ルール」

 掛け算順序問題では,「トランプ配り」という言葉が出てきます。「一つ分」と「いくつ分」は入れ替え可能という説明で使われます。トランプを配る場合に,「一人当たり5枚ずつ」「3人」に配ると考えても良いし,「1巡あたり3枚ずつ」「5巡」配ると考えてよいわけです。

 ただ,トランプ配りが考えにくい場合もあります。例えば,時速5kmで3時間歩いた距離を求める問題で,「一つ分」を3とするのは即座には思いつかないかもしれません。速さの単位は既に「km/h」と「一つ分」の形になっているので,「いくつ分」と考えにくいわけです。単価と数量のような場合も既に「一つ分」と「いくつ分」が単位助数詞に現れています。

 それでも,次のように考えることが出来ます。

「ある時間,1km/hで歩いたら3kmの距離を進んだ。歩く速さを5倍にすれば同じ時間で進む距離はどれだけか」

 このように考えれば,一つ分は3km/(1km/h)でいくつは5km/h となります。一つ分の速さで進む距離が3だとすれば,5つ分の速さで進む距離は3×5です。

 同様に,「1個5円のお菓子を3個では何円」は,「1個1円のお菓子を何個か買ったら3円になった。一個5円のお菓子を同じ数だけ買ったら何円」と同じです。1個5円は1個1円の5つ分で数量(いくつ分),3円は1個1円のときの値段で単価(一つ分)と考えることができます。

 もちろん,かなり技巧的で「常識的」とはいえませんし,あえて考える必要もありません。ですから,順序教育が,「常識的」に考えよと言っているだけなら,賛同はせずとも,反対もしません。上述のように,どちらが「一つ分」でどちらが「いくつ分」なのかは考え方次第ですが,「常識的」なものがあるのはその通りですから。ただし,「常識的」な「一つ分」を数式の左側に書きなさいという「順序ルール」になると全く「常識的」ではありません。そんなルールを律儀に守っている大人はいません。順序教育は特殊な閉鎖社会の常識に過ぎず,社会一般から見れば「非常識的」です。

 別に「常識的」ではなくても,教育効果があるのなら便法として認めても構いません。でも,効果は全く実証されていません。実際のところ,「順序ルール」は,子どもが「一つ分」と「いくつ分」を理解しているかを調べる為にテスト使われているだけです。理解して初めて「順序ルール」に従えるのであって,理解させる段階では役立たずです。子どもにとって役に立つ理解を助ける道具にはなっておらず,あくまで,先生にとって便利な採点の道具に過ぎません。本当に便利で,子どもに有害で無ければ認められないこともありませんが。
 
 ところが,残念なことに採点の道具にすらなっていないのです。もし,「一つ分」と「いくつ分」の区別も「順序ルール」も逆に間違っていれば,逆の逆で式の順序は「正しく」なってしまうからです。また,式の順序が「間違って」いれば,どちらかを理解していないことになりますが,どちらを理解していないかは分かりません。順序教育は,子どもの「ひとつ分」と「いくつ分」の理解力を信用していないくせに,「順序ルール」は当然分かっていると勝手に思い込んでいるだけなのです。実際は,「順序ルール」を無視しているだけの可能性が遙かに高いと思いますが,先生は「ひとつ分」と「いくつ分」を理解していないと判定しちゃうんです。こんないい加減なルールで採点される子どもは堪りません。有害無益でとても認められません。

 「順序ルール」とは,「正しいものは赤塗りし,間違いは青塗りせよ」というルールのようなものです。もし,子どもが正しいものに赤塗りしていても,正誤の理解も色塗りルールも間違っているのかも知れません。正誤の理解を確かめたいなら,正しいと思うかと尋ねれば済む話で,余計な色塗りルールを介在させると判定が出来なくなってしまいます。それに,色塗りルールを覚えれば正誤の判断ができるようになるわけでないのは言うまでもありません。

 「ひとつ分」と「いくつ分」の理解は難しく,「順序ルール」の理解は簡単かというと,むしろ逆ではないかと私は思います。一旦理解すれば,常識的な場合の「ひとつ分」と「いくつ分」が分からなくなることはまず有り得ません。長方形の縦と横はどっちがどっちでも構いませんが,長方形を短冊状に切り分けたものがひとつ分だと考えるのは簡単です。しかし「順序ルール」はどちらが右だったのか記憶があやふやになります。論理的に決定出来ない恣意的なルールなので,覚えにくいのです。中身のない単なる決め事は記憶に残りません。

 その証拠に,大人なら「ひとつ分」と「いくつ分」を理解していない人はまずいませんが,「順序ルール」なんぞ知らないか,忘れてしまったという人は大勢います。大人の社会の様々な場面で見かける見積書には単価と数量が記載されていますが,その順序はまちまちです。だからといって単価と数量を間違えるなんて人はいません。「順序ルール」などなくても,単価と数量は理解出来るというか無関係だからです。

 かように,子どもの負担になるだけの余計で有害なローカルルールなのですが,先生が何か教えたような気になれるのでしょうね。だから根強いのかも。