難しい社会復帰

 人の気持ちは分かりませんが、「絶歌」出版への反発の理由は心情的なものしか思いつきません。

 まず、被害者の遺族以外は、出版によってなんら被害を受けません。反対する理由がありません。ただ、本当は反省も更生もしていないのに、しているように装っていることへの疑いという気分的な反発じゃないかと思います。出版を許したら、社会的にどのような弊害があるのかについては、私には分かりません。一つ考えられるのは、犯罪を利用して収入が得られれば、犯罪を触発するというぐらいです。しかしですよ、あとで出版で一儲けしようとして殺人を犯すなんてことは想像しにくいです。儲けたいなら、そんな長期計画よりも銀行強盗でもするでしょう。

 それに、犯罪とは無関係な題材で作家として成功するのは許せるのでしょうか。どうも、それすら反発がありそうです。というのは、犯罪者が弁護士として地元の名士になっているのが許せないというような意見もあるからです。

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 その後、殺された少年の母が電話で、”更正”した弁護士である元少年Aと話をするようになる。その電話口で控えていた奥野氏は信じられない言葉を母親とともに耳にすることになる。
 「金がほしいの?賠償金?払う気ないよ。50万くらいなら貸すよ、印鑑証明と実印持ってきて」 「・・・・息子の命が50万ですか?」

 もっとも、この事例では、社会的に成功したことではなくて、遺族への信じがたい言動を批判しているだけですが、この例を持ってきて、まだそのような言動をしていない神戸の事件の元少年Aの出版も批判しています。それは、犯罪者に真の更生はありえず、いずれ同じようなことをしでかしかねないという危惧があるからでしょう。

 では、被害者の遺族の心情としてはどうでしょうか。一つ言えるのは、出版に反対していない遺族もいらっしゃるということです。このことからわかるのは、出版行為自体の是非ではなく、そのことをどのように感じるかというあくまで心情の問題だということです。そして、その心情は人によって違います。

 このような人によって異なる心情に配慮して、元犯罪者の行為を制限しだすと、歯止めが効かなくなります。「嫌だから嫌」という理由しかないからです。もちろん被害者の遺族という事情には配慮が必要ですが、既に社会復帰している元犯罪者の行為まで制限できるものでしょうか。

 犯罪被害者が十分救済されていないのに、元犯罪者が一人前の権利を認められるのは我慢できないという感情は分からないでもありません。でも、本来それは別の事柄だと考えるべきでしょう。元犯罪者の権利を制限することで、被害者が救済されるわけでもなく、負の連鎖にしかならないと思うのですね。

 要するに、まだ罰したりず、そもそも社会復帰しているのが許せないということではないでしょうか。社会復帰しても、ひっそりと目立たないような生き方しか認めないというか。