田母神俊雄氏は伝染の恐怖に踊る

田母神俊雄

渋谷区で同性パートナー条例が本日可決されたとか。しかしこれを認めては人類社会が続かなくなる。少数意見を尊重するという考え方が行き過ぎている。同性婚を主張する人たちは特別な人たちであると思う。制度としてそれを認める必要はない。別に同性が一緒に生活する事は禁止されていない。
https://twitter.com/toshio_tamogami/status/582832603150987264

 田母神俊雄氏にとって同性婚は伝染病や犯罪のような恐怖みたいです。何しろ制度的に不利な状況に追い込んでおかないとあっという間に蔓延し,人類社会が続かなくなるのです。なんと恐ろしいことか!当然,非合法化の主張がなされて・・・えーと,なされていませんね。それどころか,「同性婚を主張する人たちは特別な人たちである」とも言っているではないですか。ということは少数派ですから,人類社会が続かなくなる心配はないはずです。論旨が混乱していますが,感情的な反応ではしばしば見かける現象です。禁止する根拠が無くても怖いものは怖いものです。

 よく知らない異文化に対する恐怖は誰にでもあります。ひょっとしたら危険かもしれないのでよく知らないものは取りあえず拒否するというのが人間の本性です。最初はそうだとしても,次第に相手を知るようになり,危険はそれほど無いことが分かってくると,交流が始まります。交流範囲が広がると経済的,文化的にも発展が望めるからです。歴史的にも,分業化,多様性などのメリットによって,社会は繁栄してきました。しかし,交流が途絶えるとガラパゴス化と停滞が訪れ,再び外界と接したときに危機を迎えます。日本もその危機に何度か遭遇しましたが,その都度なんとか切り抜けて来ました。ただし,今後どうなるかはわかりません。

 このように,人間には臆病で用心深い面と好奇心旺盛で開放的な面があり,そのバランスが重要と言えます。時にそのバランスが崩れ,恐怖心が優勢になると,異文化の拒否が優勢になるようです。アメリカ人は伝統的に,英国や原住民という外敵に怯えてきた国民のようです。動物でもそうですが,一旦怯えると,相手も怯えて恐怖の循環再生産が始まります。

アメリカは恐怖に踊る - バリー グラスナー
 http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AF%E6%81%90%E6%80%96%E3%81%AB%E8%B8%8A%E3%82%8B-%E3%83%90%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%8A%E3%83%BC/dp/4794212879

 アメリカの場合もそうですが,自分自身は知識もあり恐怖を感じていないのに,社会の恐怖を宗教的,政治的あるいは商売的に利用している場合もあります。社会の無知が大きい場合,禁止措置が支持されます。英国は1966年まで同性愛は違法で,アラン・チューリングの悲劇などが起こりました。最近映画化されましたね。映画といえば,ウィリアム・ワイラーの「噂の二人」という映画もありました。昔の日曜映画劇場で見た記憶がありますが,1961年の作品です。アメリカは,全州で合法になったのは2003年と以外に最近です。逆に日本では,違法だったのは 1872年-1881年と非常に短いです。

 今や同性愛禁止の主張はアナクロと思われてしまいますので田母神俊雄氏もしにくいのでしょう。それでも,心の奥底の恐怖が払拭されていないと,禁止にはできないが,同等には扱いたくないという,首尾一貫しないというか往生際のわるい言動になるんじゃないでしょうか。

 ところで,同性愛が遺伝的なものであったとしたら,子孫を残すことは困難になりますので,決して多数派にはなりません。文化的なものだとしても,同様に多数派の文化にはならないでしょう。生物的なメリットはありませんが,文化的なメリットはいろいろありそうです。現実に最近のTV業界は抜け目なくそのメリットを察知しているようです。一時の流行のように見えますが,結構歴史は古いのです。明治以前の日本では同性愛は公然で,前述のように西洋の影響で違法になったのは、明治以降の一時期に過ぎません。伝統と思っていたものが意外に歴史が浅いことはよく有ります。一時の抑圧が減って表に出てきたと考えた方が妥当と思います。

 田母神俊雄氏には馬鹿が伝染るように,同性愛も伝染するという滑稽な誤解があるのでしょうか?いや,ハンセン病HIvチューリングの悲劇などを考えると滑稽と笑ってばかりもいらないな。