「意味」は大事かもしれないけど,テストで×にする理由にはならん

 積分定数さんの精力的な問い合わせのつぶやきによると,指導書出版社や文科省は,「順序には拘っていない。重要なのは掛け算の「意味」である。」という風に応えるそうです。「意味」とは「一つ分」と「いくつ分」の意味,あるいは問題文に出てくる数字がどちらなのかと言うことかと思います。

 順序に拘っていないということは,順序ルールはないと考えているということになります。順序はルールではなくて,「意味」を理解させる為の手段か,あるいは,「意味」を理解しているか判定するための手段であるということです。ルールならこだわらなければなりませんからね。

 それはそうですね。さすがに指導書出版者や文科省が順序ルールがあるとは言えないでしょう。

 では,理解させる為の手段なのでしょうか,判定するための手段なのでしょうか。理解させる為の手段なら,テストで×にすることは出来ませんね。理解してしまえば,別に理解させる為の手段に従う必要はありませんから。大リーグボールを養成するためのギブスを試合でも装着しなければならないという理屈はありません。従って,判定するための手段と考えるしかありません。となると,判定するための手段として妥当か否かということになります。ギブスを装着していれば大リーグボールを投げる能力があると判断することが妥当かということです。考えるまでも無いようですが考えます。

 この事を考える前に,「トランプ配り」もあるように,どちらを「一つ分」と考えることも可能ということがあります,これは,「一つ分」という考え方が掛け算の本質的で重要な概念であるのではなく,一つの解釈に過ぎないことを表しています。この解釈はイメージしやすく,理解に役立つというメリットがあるわけです。イメージは重要ですが,それがすべてでなく,別のイメージや解釈もあります。

 とはいえ,イメージしやすいものとそうでないものはあるわけで,「4枚ずつ3袋」なら,4枚が一つ分としてイメージしやすいでしょう。従って,最初に掛け算を教える時に,イメージしやすい方を使うのはそれなりに妥当と言えます。こういうことを考えると,「一つ分」というのは,本来は,理解させる為の手段だったのではないかと推測出来ます。算数指導者が考え出したことですから,そう考えるのが自然でしょう。テストを効率よく採点するための手段だとは極めて考えにくいですね。それが,いつの間にか,テストで×にするようになってしまっただけじゃないかと思います。

 ということで,ますます「養成ギブス」っぽいのですが,続けます。

 まず,「一つ分」と「いくつ分」の意味を言葉で説明せよ,と言われると非常に難しいです。基本的なことほど,言葉の説明は難しいものですが,その良い例です。特に,言語表現発達途上の子供にそれを求めるのは無理です。従って,具体的状況を示し,どれが一つ分であるかを尋ね,正解すれば理解していると判断するのが普通のやり方でしょう。それに対して,一つ分を書く場所を指定し,そこに正しく一つ分を賭けるかで判断するのは,やたら迂遠な方法です。それに,順序ルールも一つ分も理解している場合だけでなく,両方とも理解していなければ正解になっちゃいます。更に一つ分を理解していても,順序ルールを理解していないと不正解になります。一つ分を理解していても,順序ルールを理解していなければ正解になります。こんな方法で判断されたらたまりませんね。

 「4枚ずつ3袋で全部で何枚」という問題に,3×4=12と,かいた生徒は,一つ分が3袋で,それが4枚あるので,全部で12袋と考えていると先生は判断するのですかね。多分,一つ分を前に書くというどうでも良いルールを知らないだけという可能性のほうが遙かに大きいでしょう。

 「一つ分」とは初めて掛け算を習うときに理解しやすいイメージですから,それで教えるのは妥当だと思います。それを明確に意識させる為に,式の最初に書かせるという指導法も(効果には大いに疑問有りですが)有り得るかもしれません。ところが,惰性で指導法の手段と算数のルールの区別をせずに,テストで×にしてしまうという間違いを犯しただけじゃないですかね。この間違いをとりつくろう為に,後付で「意味」がどうのこうのと言い訳をしているとしか思えないのですね。私なんか苦しい言い訳だらけの仕事ばかりしていたので,その事情はよく分かります。歯切れも悪くなりますね。