逆宝くじ(巨大原発)の問題

原発のリスクは小さい

 確率的には、原発のリスクは他の発電方式より小さいといわれます。例えば、リンク先には次のように書いてあります。

テラワット/時」当たりの平均死亡率は、石油の場合36人、石炭の場合は161人、原子力の場合は0.04人となっています。

naglly.com

 ただ、公式なデータではなく、データの信頼性は不明のようです。

お断りですが、引用したのは個人のブログで、元の情報源、算定根拠などは不明です。アメリカ政府または国際機関のデータを利用しているようですが、トレースできませんでした。データの信憑性についての担保がないことを予めご理解下さい。nextbigfuture.com/2011/03/deaths…

togetter.com

 数字はともかく、原発は世界中で建設されているので、被害を便益が上回ると思われているのでしょう。

ただ、専門家ではない一般の人は、確率的な期待値だけでは判断しませんからね。大抵の人は、分かりやすい便益や損失の最大値で判断することが多いようです。

 例えば保険の損失期待値は便益期待値より大きいです。そうでないと保険会社の経営が成り立ちません。にもかかわらず確率的には損な保険に入るのは、経済的に破綻するような大きな損失を避けたいからです。自動車保険に入っていないと、交通事故を起こしたとき、数億円の賠償金が払えず破産します。ちなみに、財力があり破産の可能性のない国の官用車は保険に加入していません。保険料を払うより安上がりだからです。

 原発は、保険よりも投資に似ているかもしれません。身の程知らずの高額の投資は破産の危険がありますので、確率的には儲けが期待できても、お勧めできません。原発も国は推進しようとしますが、自治体が受け入れるかどうかは、一概に言えません。

 また、宝くじも確率的には損する行為ですが、万が一の大当たりを夢見て多くの人が購入します。

 保険へ加入する、高額な投資は避ける、原発を受け入れない、これらはどれも確率的には損する行為ですが、万が一の大損害を避けたい場合に選択します。また、宝くじを買うのも、確率的には損する行為ですが、万が一の大儲けを期待して選択します。一方、万が一の事態が良い出来事でも悪い出来事でも、それほど重大でなければ、確率的に有利な選択をします。

 厄介なのは、万が一の出来事の重大さ加減の認識が人によって、あるいは立場によって違うところです。どちらを選択するか客観的に決められません。だから揉めます。

原発の最大被害は大きい

 一般には、原発事故は極めて重大な事態です。どれほど重大かというと、原発事故の賠償責任は電力会社にあり、電力会社は原子力損害賠償責任保険への加入が法律で義務付けられています。しかし、それでも不足する可能性があるため、政府が援助することになっています。多分、政府の援助がなければ電力会社は原発を作りません。つまり、原発は国策で行わなければならないほど万が一の被害が大きいのです。

 とはいえ、国が亡ぶほどではありません。重大さの加減は立場によって変わると先ほど述べたように、官用車は保険がなくても国は破産しません。重大な原発事故を起こした国は、日本の他に米国と旧ソ連がありますが、まだ存続しています。

 しかし、自治体レベルになると話は違います。福島第一原発事故の影響から10年以上経っているのに、住民の帰還はわずかです。チェルノブイリ級の事故なら、町が消滅する可能性もあるのではないでしょうか。

■不平等感

 ここまでの話は、保険等のそれなりの傍証がありますが、これ以降は、かなり思弁的な推測になります。ですが、持って回った言い方を避けるため、断定的に記述します。

 人間の心理は首尾一貫していなことが多く、破滅的な事態も必ずしも回避するとは限りません。例えば、自動車の使用です。事故の賠償金は保険で処理できますが、交通事故で自分が死ぬこともあります。死ねば、個人レベルでは破滅です。なのに、多くの人が自動車を利用しています。理由はいろいろ考えられます。交通事故以外の原因で死ぬこともあり、また、自動車利用(救急車、物流促進等)で命が助かる場合もあって、総合的には死ぬ確率が減ります。ただそういう確率計算を個人が行うのは現実には困難です。おそらく、万人に平等にありうることは、あまり気にしないだけでしょう。

 逆に、不平等だと感じると受け入れにくくなります。いわゆる迷惑施設は自分の家の隣に来てほしくないですからね。地域のためには必要だと分かっていても、また実際には不利益以上の利益を得ていても、自分だけが犠牲になっている気分になります。

原発は最大被害が大きく、かつ不平等に感じる

 不平等感が大きい代表例が、原発です。発電所の恩恵は全国民が受けるのに、事故被害は、原発の近くの住民に集中します。交通事故と違って誰が被害者になるのか最初から決まっています。それに加えて、回復不能なほど最大被害が大きいです。

 原発推進の立場からは、確率的に便益と損失を計算して便益が大きいことを示しますが、そんな計算は大して心に響きません。

 かつて、「逆宝くじ」なるものを考えたことがあります。

shinzor.hatenablog.com

 くじを引けば10万円もらえますが、1万分の1の確率で当選すると一億円を払わなければいけません。期待値を計算すると、約9万円儲かりますが、怖いですよね。さらに、1万人のグループの誰か一人がこのくじをすれば、残りの9,999人も8万円貰えるならグループとしてどうすべきでしょうか。1万人のコミュニティにとってこのくじは大きな富をもたらしますが、誰かがくじをひく一人に立候補するでしょうか。立候補すれば他の9,999人より1万円儲かる計算なのですが、犠牲者になったような気がしませんか。

■一つの原発の規模を小さくする。

 1万人のコミュニティの逆宝くじは、日本と原発のアナロジーです。すぐ思いつく解決策に、不運にも1億円支払うことになった一人を他の9,999人が支援する方法があります。儲けた8万円から1万円を支援すれば、ほぼ1億円になるではありませんか。現実の福島第一原発事故でも国や、日本国中の人々が移住せざるを得なくなった被害者を支援しました。にもかかわらず、13年経過しても、帰還して以前の生活に戻れた人はわずかです。現実の物理的世界は複雑で、くじの計算ほど単純ではありません。お金を出しても、汚染された土地にすぐ住めるようにはならないのですね。いずれ回復するでしょうが、時間が係り過ぎます。それまで待てる人はどれほどいるのでしょうか。

 この問題を解決するには、不平等な逆宝くじの状況を変える必要があると思います。つまり、一つの原発の事故の規模を小さくして、代わりに数を増やし、誰が事故被害を受けるか分からない自動車のようにします。東京のような都市近郊にも設置できれば理想的です。SMR(小型モジュール炉)が実用化されれば夢物語ではありませんが、どうでしょうか。可能でも遠い将来ですね。

ねじれの位置にある2直線に直交する直線(直観的図解と具体例説明)

 大阪大学の入試問題がちょっとばかり話題になりました。

 問題と解答例は次のリンク先に書いてあります。

manabitimes.jp

 証明とは別に、「ねじれの位置にある2直線に直交する直線は一つしかない」のは直観的に当たり前に思えます。しかしながら、3次元空間のイメージは難しいので、当たり前の一歩手前でモヤモヤとぼやけている感じです。直観的に当たり前と分かる鮮明な図や説明が描けないだろうかと考えてみました。次の図と説明です。

 

・図は、直線lと点Aで、直線mと点Bで直交する直線があるとき、点Aと点Bが重なって見える位置から見たものです。

(ABが柱、lが1階梁、mが2階梁としたときの平面図)

・直線ABと直線l,mは直交し、またこの図が描かれている紙面とも直交します。したがって、この図が描かれている紙面と直線l、mは平行になっています。
(1階梁lは1階床面に、2階梁mは2階床面にある)

・また、破線αは、直線lと点Aで直交する平面を、破線βは、直線mと点Bで直交する平面を表しています。I、mは紙面に平行なので、平面αとβは直線に見えます。

 (αとβは平面図の壁で、交差部に柱ABがある。)

・ここで、直線AB以外に直線lとmに直交する直線CDが存在したとします。

 (CDは平面図上の第二の柱)

・点Cで直線lと直交する平面をγ、点Dで直線mと直交する平面をδとすると、図の破線のように見えます。

 (γ、δは柱CDを含む平面図上の壁)

・直線CDは、平面γとβの上にありますので、図の二つの破線が重なる位置にある必要があります。

 (壁γとδは同一)

・それは、直線lとmが平行でねじれの位置にはないと言うことになります。

 (梁lとmは同一構面にある)

 

 空間を紙面の図だけで示すのは不完全だし、それを文章で補足すると長ったらしくて直観的とは言いにくくイマイチでした。

それでも、上の説明の( )内を要約すると、次のように簡潔になりました。

 

1階梁と2階梁に接合する柱が2本以上あれば、1階梁と2階梁は同一構面にある。

 

「コロナワクチン接種『時給最大18万円』」という記事と財務省資料

 全く知らなかったのですが、昨年5月にこんな記事がでていて、話題になっていたようです。

 

参考資料の『集団接種単価とコールセンター単価』を見て唖然としました。接種を担った医師の時給が書いてあるのですが、最小は3404円、平均で1万8884円。ところが、最大で17万9800円との記述があるのです。意見書も《一部、著しく高額になっている自治体もある》と指摘しています

 

smart-flash.jp

 

一方で、こんな記事もあります。

財務省政令市など105自治体を対象に、2022年度の接種1回あたりの単価を調べた。大規模会場で行う集団接種の平均単価は1万8240円で、個別接種と比べて約7900円も高かった。会場や人員を確保しても、集団接種の稼働率が平均で6割弱にとどまったことや、接種する医師に払った報酬が、平均で時給2万円を超えたことなどが要因だ。

 

www.yomiuri.co.jp

 

 こちらは、集団接種の接種1回あたりの単価は個別接種に比べて割高と財務省が指摘したという内容です。接種する医者の時給については記載がありません。FLASHの記事は何か勘違いしているのではないかと思い、財務省の資料を見てみました。財政制度等審議会の「歴史的転機における財政」という報告です。

https://www.mof.go.jp/about_mof/councils/fiscal_system_council/sub-of_fiscal_system/report/zaiseia20230529/04.pdf


 
勘違いではありませんでした。確かに医師の時給の最大値179,800円と書いてあります。ただし、平均値は18,884円、最小値は3,404です。この最大値は特殊な条件の異常値くさいです。そして、そう指摘している記事もありました。

 

医師の時給17万9800円の内訳は、都庁から1000キロ以上離れた小笠原諸島の住民へのワクチン接種や、東北地方の工場への職域ワクチン接種の「日当」を時給換算したにすぎない。

 

www.asagei.com


 小笠原諸島の接種の特殊な例だとしても、まだ釈然としません。時給17万9800円はどうにもとびぬけています。小笠原には船でしか行けず、船中2泊、島内3泊しなければなりません確かに費用が掛かります。といっても、旅行サイトで調べると、諸々の費用の合計は11から12万円程度です。平均的な集団接種の時給18,884円との差額16万円が、この12万円によるものだとすると、12/16=3/4時間の勤務しかしていないことになります。3泊して3/4時間勤務はどうも解せませんが、島内の接種者が1人だけならあり得ないでもありません。

 

 疑念はあるものの、接種に必要な正当な実費です。財務省は、離島住民は接種不要というのでしょうか、それとも、離島へ接種にいく費用は医師が負担すべきというのでしょうか。

 

 また、このような稀な特殊例を財務省が資料に示す理由もわかりません。冒頭の記事の見出しは「コロナで病院が大儲け」です。旅費や宿泊費は実費で病院の儲けにはなりませんが、病院が不当に大儲けしているとミスリードしたかったのでしょうか。奇妙なことに報告本文には、医師時給については言及がありません。何の為の資料だったのでしょうか。

逃げ始めた風評加害者 ― 風評加害と予防原則

■ 福一原発処理水放出の現在

 1月30日、中国やロシアも参加したIAEAの報告書が公表され、福一原発処理水放出を「国際安全基準に合致」と評価しました。

https://www.iaea.org/sites/default/files/first_review_mission_report_after_start_of_alps_treated_water_discharge_oct_23.pdf

 そのせいかどうかわかりませんが放出に反対していた面々の態度も変わってきましたね。攻撃から防御という変化です。馬鹿馬鹿しい例を挙げると、今まで「汚染水」と呼んでいたのが「処理汚染水」と変わったりしています。処理されていないかのような「汚染水」よりマシですが、「汚染」は相変わらず残しています。

 まだ汚染水と考えているわけですが、誰もが認める「汚染水」とは言えなくなり、デマを流す風評加害者と批判されることが気になるのか、弁解を始め出しました。そのことは最後に触れますが、先ず、風評被害予防原則の関係について思う所を書いてみます。

 

■ 通俗的予防原則とウイングスプレッド宣言の予防原則

 風評被害予防原則には多分関係があります。ただし、ここでいう予防原則は、「ある行為が危ないか安全か分からないならしない。」という程度の意味です(以下、「通俗的予防原則」と書きます)。公式な意味は次の1998年のウイングスプレッド宣言のようになります。

ある行為が人間の健康あるいは環境への脅威を引き起こす恐れがある時には、たとえ原因と結果の因果関係が科学的に十分に立証されていなくても、予防的措置がとられなくてはならない。

 通俗的予防原則と殆ど同じようですが、「しない方がよい」と「予防的措置がとられなくてはならない」の違いがあります。「予防的措置」は何もしないこととは限りません。例えば、ワクチン接種という「予防的措置」もあれば、ワクチンの薬害を防ぐためワクチン接種を差し控える「予防的措置」もあります。そのどちらを選択すべきなのかは、科学的検討によらねばなりません。ところが、なんと「原因と結果の因果関係が科学的に十分に立証されていなくても」という文言がウイングスプレッド宣言にあるので困ってしまいます。立証されていないのでは、科学的に判断できるはずがありません。結局のところ、「予防原則」は政治的判断の言い換えに過ぎないのじゃないでしょうか。判断の指針となるようなものは無く、役立たずの念仏としか思えません。

 

■ 指針になるのは通俗的予防原則

 これに対して通俗的予防原則は、「分からない時は何もしない」という指針にはなります。実際にも、新たな行為をしない理由によくつかわれます。しかし、行為をしない方が人間の健康あるいは環境への脅威が少ないのかどうかわかりません。正しいという保証はありません。このため、予防原則は、何もしない場合も害があるトレードオフ問題には無力といわれます。

nagaitakashi.net

  ここで、重要なのは、利益を受ける人と害を被る人が違う場合が多いことです。行為をしないことで利益を受ける立場なら、予防原則を使うでしょうが、害を被る人々は大抵無視されています。

 処理水を放出しなければ漁民には害がありませんが、処理水をため続ける害は無視されます。一般の下水も処理場で処理され河川から海洋に放出されますが、これをタンクにため続けるようなものかと思います。

 

■ 部分最適全体不適

 どちらが良いか分からないなら何もしないという通俗的予防原則は個人の判断でよく使われます。個人レベルでは合理的であることが多いからです。例えば、F商店は賞味期限切れの商品を売っているという噂があるとすると、大抵の人はその噂が真実かデマか分からなくても、F商店からは買いません。少し足を延ばせばF商店の代わりの商店はいくらでもあるので、そこから買えば済むからです。このように個人の範囲ではトレードオフを考慮して少なくとも自分の利益だけなら合理的に判断できます。しかし、F商店にとっては堪ったものではありませんし、多くの人がこのような根も葉もないデマで判断するようになると、社会全体の損失になるかもしれません。いわゆる部分最適全体不適になってしまいます。

 風評加害者は、疑わしいなら買わない方が安全という部分最適に訴えてF商店を潰そうとします。科学的根拠は不要で、噂を流すだけでよいので実に簡単です。全体の利益を考えるなら、科学的根拠を示してF商店の商品は安全だと示さねばならず大変です。大変ですが、それがそれぞれの個人に理解されれば、わざわざ不便な別の商店にいかずに、以前のように近くのF商店でお客は買い物をするようになるでしょう。

 

■ 風評加害者の責任逃れ

 科学的根拠が理解され、F商店の商品が危険というデマを主張しにくくなると、風評加害者は、デマを発信したことは加害ではないという後退した主張を始めます。どのような主張かというと、「加害とは意図的なものだが、我々には加害の意図はない」、「風評被害の定義は曖昧である」、「風評と被害の因果関係は明確ではない」などです。

Microsoft Word - 1_第三十六回_CCNE委員会議事次第 (ccnejapan.com)

 

 「原発事故の加害責任を、被害者を含む国民(一般公衆)に転嫁する」と風評加害者は言います。原発事故加害と風評加害を意図的に混同するわけです。風評加害はデマの発信者が直接加害するのではなく、デマに影響された国民(一般公衆)により引き起こされます。そのような公衆の責任を問うことは難しいし、問うべきでもないと考えますが、デマ発信者の責任は問うべきでしょう。さらにデマ発信者とデマに影響された公衆の混同も行い。公衆に紛れて逃げようとしているように見えます。

大根の面取り

■ TV番組の間違い

 おでんの大根は角の面取りをします。理由は、煮崩れを防ぐためでこれは良く知られています。それ以外に汁を良く染み込ませる効果もあるそうです。面取りすると大根の表面積が増えるのでよく染み込むそうです。と、この間見た番組で説明していました。

 いやいや、面取りすると表面積は明らかに減りますよね。

■ TV番組だけじゃなかった

  まあ、TVのことだからこの程度の間違いはよくあります。ところが、ネットで検索してみても、同じことが書いてあることが分かりました。こればかりは多数決で決めるわけにはいきません。しつこいですが、面取りすれば表面積は減ります。これは間違いありません。

 

http://大根を面取りする理由は?簡単なやり方を覚えて時短&味わいアップ! - macaroni (macaro-ni.jp)

 

http://大根の面取りをする理由とやり方・大根を美味しく煮るコツ│食卓辞典 (oe32media.com)

■ 面取りした方が染み込みやすいのは本当らしい

 ただ、料理のプロがほぼ一致して言っているので、面取りした方が汁は良く染み込むのは本当なのでしょう。面取りで表面積は明らかに減りますが、体積も減りますので大根全体に染み込むのが早くなるのかもしれません。面取りしないと三角形の2辺から染み込んだ煮汁が残りの1辺(面取りで出来る面)に達してからやっと、大根内部に染み込み始めますが、面取りすれば、最初から、そこに染み込むことができます。大根表面から大根中心までの距離の最小値は面取りした方が短くなるので、早く染み込みそうです。

  煮汁を染み込ませるには、面取りの他に切り込みを入れる方法がありますが、こちらは、確かに煮汁に触れる表面積を増やしますし、大根表面から中心までの最小距離も短くなります。

 世の中に流布している説の中には、明らかに間違えているものがあります。その一つとしてこのブログを書き始めました。「料理する人にとっては、煮汁が染み込めばよいのであって、その理由が間違っていても別に気にしないのだ」というまとめにしようとしました。

■ 面取りしない方が染み込みやすくなる場合

  ところが、それほど単純ではありませんでした。ラジエータの放熱板は、大根の角に相当するようにも見えます。放熱板は空気に触れる表面積を増やして放熱を早くします。大根の面取りする角を一枚の放熱板と見做したら、面取りしない方が染み込みやすくなるのでしょうか。とがった角が沢山ある方が、煮汁が良く染み込みそうな気もしてきます。

 しかし、料理のプロの経験ではそうではありません。何故なのでしょうか。その理由は、熱伝達率と熱伝導率の違いを考えると分かります。熱伝達率とは壁と空気、壁と水といった2種類の物質間での熱の伝わり易さで、熱伝導率とは、1つの物質内の熱の伝わりやすさです。それに倣うと、煮汁伝達率は煮汁と大根表面での煮汁の染み込みやすさで、煮汁伝導率は大根内部での煮汁の移動しやすさと言えます。

 放熱板の材料は熱伝導率が大きく熱の伝わり易い材料でできています。一方、空気と放熱板の間の熱伝達率はそれほど大きくありません。なので、ネックとなっている放熱板と空気の接触面積を増やすのが効果的です。

 それに対して大根の煮汁伝達率と煮汁伝導率には大した差がないのでしょう。大根の三角形の角(放熱板に相当)を増やして、煮汁の三角形への流入を増やしても、三角形から大根内部への流入量が増えなければ効果ありません。ネックは三角形の底辺(面取りで出来る面)にあるのです。

 現実には存在しなさそうですが、面取りした切断面も非常に煮汁が通しにくくなる野菜なら、面取りしないほうがよく染み込むかもしれません。

 

限られた資源の元では、何かを安全にすれば、別の何かが危険になる

 私は、福一原発の放出水の処理はやり過ぎだと思います。

 処理水は、通常の原発の排水と同様の告示に従います。水中における告示濃度限度は、放出口における濃度の水を、生まれてから70歳になるまで毎日約2リットル飲み続けた場合に、平均の線量率が1年あたり1ミリシーベルトに達する濃度です。海水を2リットル飲めば、塩分過剰摂取で1日で命を失うかもしれませんから,70年間続けるのは不可能ですが、とにかく、そういう想定です。ちなみに、日本人の年間被ばく線量は自然放射線が2ミリシーベルト、医療放射線が2.6ミリシーベルト程度です。計算の具体的方法は以下の通りになります。

 まず、ALPSによって、告示別表の核種の告示濃度比総和を1以下にします。次にALPSでは除去困難なトリチウムを告示濃度限度(60,000Bq/l)の1/40以下,WHOの飲料水基準(10,000Bq/l)の1/7以下の1,500Bq/lに希釈します。

つまり、トリチウムもそれ以外の核種も基準の1/40以下にしています。飲料水でもないのに、WHOの飲料水基準の1/7です。

 何故、これほど「安全」にするのでしょうか。実は原子力業界は過剰なほど安全を気にします。それがかえって、疑いの目で見られる原因にもなっていると思います。過剰対応の一つの例が「線量目標値」です。

www.aec.go.jp

 これは、有害なものは少ないに越したことはないという考えによるもので、実現可能なら出来るだけ少なくしようという努力目標です。守らなければならない許容被ばく線量の基準ではなく、他の業界ではあまり目にしません。(環境省の環境基準ぐらい)すぐには守らなくてもよい将来の目標値みたいなものです。こういうものが提示されると、現状は危険なのに、技術的に安全にできないため、将来に問題を先送りしていると疑う人も出てきます。しかし、現状が危険と言っていません。それは、解説の3を読めばわかります。

3. 「線量目標値」として示された「被曝線量」は、放射線障害の可能性の点から定められたものではなく、その実現の難易度を評価し努力目標値としての妥当性を判断して定められたものです。

 放射線障害の可能性の点から定められたものではないのです。では、守らなくても放射線障害は全く起こらないのでしょうか。その保証はありません。自然放射線でも障害は起こっているのですから。しかし、普通、自然放射線を気にしたりしません。紫外線で皮膚がんになると恐れて、一切日光を浴びないとかえって健康に良くありません。何事も得失があり、「得」が「失」を上回ればよいのであって、「失」をゼロにしようとすると別の面の「失」が増え、総合的に望ましくないことになってしまいます。このことは、日常生活では誰でも理解しており、交通事故が心配だと一切、車を利用しない変人は稀で、大抵の人は事故の可能性を分かりながら車を利用しています。

 この得失の評価らしきものが、線量目標値解説の「その実現の難易度を評価し」かもしれません。例えば、被ばく線量を限りなくゼロに近づけていけば行くほど、それ以上少なくするのは困難になります。可能だとしても、膨大な費用やエネルギーが必要になります。線量ゼロにする電力がその原発の発電量を上回れば無意味になりますし、それほどではなくとも、その電力を医療などに使えば、100人の命を助けることが出来るかもしれません。それに対して線量を少なくした効果で命が助かる人がほぼゼロなら、線量目標値の達成は馬鹿げています。

 ところが、限られた資源や費用を他に使うことの効果の評価は、他分野の人間には非常に難しいです。一般的には経験的にどの分野に資源や費用を配分するかは政治や市場が決めています。私は建築分野の人間なので、建築の安全へお金が使われれば大変ありがたいのですが、そのために他の分野が犠牲になるかもしれません。では、どうするのかは、社会全体(政治家、市場など)で決めるしかないでしょう。

 原子力業界は、この点について他の業界と少し違うように思います。一般の建築より原発の耐震性を高くするのは当然ですが、その程度が大き過ぎ、そこまで丈夫にする必要はあるのだろうかと個人的には疑問を感じています。原子力業界の過剰とも思える(他の業界も含めて総合的にみれば危険になっている可能性もある)安全対策は、世間の原発への不安と絡み合っていて、「安全神話」を生み出しました。それと「線量目標値」は無関係ではないでしょう。

 「線量目標値」に相当するものは、建築業界にはありません。しかし、安全性の向上に向けての努力は行われています。その手順は被害経験から始まります。大きな地震が発生し、社会的影響があるような被害があれば、調査が行われ基準が改正されていきます。ここで、重要なのは、被害を認めていることです。建築基準法は、どのような地震でも耐えることは要求していません。基準法に定める地震より大きい地震はありえます。あらゆる地震被害を予想して対処するのは、理想に過ぎません。現実には被害は起こり、その被害額は分かりますので、それを防止するための費用と比較でき、それが法改正判断の根拠になります。被害額を上回るような膨大な費用がかかる対策を要するような改正は行われません。例えば、東日本大震災津波被害が起こりましたが、建築的な津波対策は現実的ではなく、法改正は行われませんでした。

 ところが、建築分野と違い、原発の被害を世間は認めません。千年に1度の大津波にも耐えることが要求されます。事故発生後の避難計画もあるのに、事故は認めません。この原因は原発が巨大すぎるという所にあると私は以前から考えています。その他にも、廃棄物処理など、現状の原発には問題があるのは確かです。

 巨大原発には問題があるとはいえ、廃炉処理の一過程である処理水放出にも過剰な安全性を求めるのはどうでしょうか。しかも、反原発の要求だけでなく、原子力業界自身がやり過ぎと思えることをしています。人間ドックで毎年、2.6ミリシーベルトのX線を浴びているのに、海水を毎日2リットル飲むというあり得ない仮定で計算して、0.025ミリシーベルト以下にしようとします。これほどの対策をしても、告示濃度基準では不足で、努力目標でしかない「線量目標値」以下にすべきだと言う人は言うのです。処理水放出の費用は400億円と言われていますが、「線量目標値」以下にするにはこの何倍の費用になるのか見当もつきませんが、効果は殆どなく、他の安全対策に使った方が有意義だと思います。

デマではないが、ミスリード

ワクチン接種した時期に、超過死亡が増えている

ワクチン接種者の感染者が多い

 この種のワクチンは危険だという言説は幾度となく繰り返されますね。前者は、接種が多い時期に超過死亡も増えているというだけで、接種が原因であることは何も示していませんし、後者は、接種者の人数が多ければ感染者も多いという当たり前のことを言っているだけです。これらは、事実ではありますが間違った結論にミスリードする目的で反ワクチン界隈から飽きもせず示されます。

 その一方で、厚労省のデータも注意しないと読み誤る恐れがあるものがあります。例えば、2021年6月1日~2021年6月30日までの「HER-SYSデータに基づく報告」には、一つの表の中に、ワクチンが致死率を下げるようにも上げるようにも見えるものがあります。

 この報告では、65歳以上、65歳未満のいずれも、未接種の致死率が1回接種者や2回接種者より大きくなっています。このことから、接種は致死率を減らしていると言ってしまうのは早とちりです。何故なら、条件が揃っていないからです。非常に健康状態の悪い人は接種できませんから、非接種者の方が元々不健康だったことを示しているだけかもしれません。それは65歳以上をみればなんとなく分かります。重病人の多い高齢者は元々、多くの人が亡くなっているはずで、そのような人は当然、接種できるような健康状態ではなかったでしょう。

 さらに、一見、奇妙な現象が起きています。65歳以上と65歳未満の年齢別では、接種者の致死率が小さいのに、両方を合計した全年齢の1回接種者は未接種者より致死率が大きくなっています。反ワクチンが飛びつきそうですが、これはシンプソンのパラドクスとして知られている現象です。ワクチンはまず、高齢者から接種が始まりましたので、1回接種には高齢者多く、致死率が大きくなって当然です。未接種者の65歳以上は13%しかいないのに対して、1回接種者の65歳以上は71%にもなっています。

 このように、条件がそろっていないことを隠せば、ワクチン有害説でもワクチン有効説でも、証拠っぽく見せかけることができます。これに対して、薬事承認にあたって行われる臨床試験では、条件を揃えた比較を行い、効果を確認するわけで、最も信頼性が高いと言えます。ただ、条件が揃っているか確認するのは、簡単なようで難しいです。年齢層が違うという単純な違いさえ見落としてしまうのですから、少し込み入ってくると隠れた要因に気づかず騙されてしまいます。